ジュニア時代から仲のよい川村昌弘プロと時松隆光プロ。自分たちのジュニア時代を振り返りながら、子どもの頃の夢とゴルフを続けるモチベーション、練習の仕方など話が盛り上がった。あの頃の自分へ、今、伝えたいことがあるようで……。
画像: 「子ども頃から、アメリカへ行きたかった」という川村少年

「子ども頃から、アメリカへ行きたかった」という川村少年

「日本でプロになりたいと思ったこと、一度もない」(川村)

時松 昌弘って、「旅人ゴルファー」と言われているよね(笑)。今は海外が主戦場だけど、いつ頃から描いていたプラン?

川村 子どもの頃から、日本でプロになりたいと思ったこと、一度もないんだよね。大学も行くならアメリカへ行きたかったし、目標が国内で何かしたいということではなかった。

時松 日本でプロになったときも、パナソニックオープンで初優勝したときも、達成感とかはあまりなかった?

川村 初優勝したときは、これでアジアンツアーに行ける、さらにはアジアからヨーロッパのツアーにも行けるかなって。初優勝の翌年からは、ヨーロッパへの道しか見ていなかった。

時松 それはすごい。僕がまだ研修生の頃、そんなことを考えていたなんて。だけど、ヨーロッパへの道、甘くはなかった?

川村 3年ほどは、日本と海外とのかけ持ちは上手くいかなかった。共同開催の試合で急に勝てるようなレベルでもなかったし。国内と海外を行ったり来たりする忙しさにモチベーションが薄れかけてしまった時期もあった。でもそんな頃、源ちゃん、日本のツアーで「シンデレラボーイ」みたいな大活躍になったんだよね。

「18年に欧州ツアーのQスクールを受けて、腹をくくった」(川村)

時松 モチベーションが薄れかけたとき、どうやってもう一度、自分の心に火を付けた?

川村 行ったり来たりしているだけじゃ、何にもならないなと。それで18年に欧州ツアーのQスクールを受けてみよう、日本ツアーは今年で最後にしよう、そう決めて、シーズンをスタートしたんだよね。腹をくくったというか。

時松 それでQスクールを突破して、欧州ツアーのシード権も獲得して。日本ツアーは今年で最後にしようという覚悟がまたすごい。

川村 子どもの頃の夢は、全英オープンに優勝したいと。僕はテレビも見なかったし、多くの選手のようにタイガー・ウッズに憧れていたわけでもなかった。ただ、自分は将来、全英のような大舞台に立っていると疑わなかった。だけど現実を知るじゃない。日本でも賞金王を争うようなレベルにいけなかったし、海外のツアーでもそこそこでプレーして、自分では歯がゆい思いもあるよ。

「子どもの頃の自分を、今の自分が、ガッカリさせたくない」(川村)

時松 誰しも夢と現実が違ってきてしまう部分はあるよね。

川村 子どもの頃にあれだけ頑張っていたとき、もし、今の自分を見たら、ガッカリするだろうね。こんなに一生懸命練習しているのに、将来こんなもんにしかなれないのかって。だから、子どもの頃の自分を、今の自分が、ガッカリさせたくない。それが、僕にとっては、ずっと消えないモチベーションになっているんだよね。

時松 それ、いい話だなあ。

画像: ツアーで戦う舞台を「最後はアメリカ」に目標を置いている川村(写真は19年カシオワールド)

ツアーで戦う舞台を「最後はアメリカ」に目標を置いている川村(写真は19年カシオワールド)

川村 日本でもヨーロッパでも、シード権を獲る程度で、歯がゆいんだけど、いつか自分のタイミングが来るときもあるだろうと、腐らずに挑戦し続けることしかない。最後はアメリカへたどり着いてやるって。ところで、源ちゃんの子どもの頃の夢とモチベーションは?

時松 親父が上手かったんで、このクソジジイにいつか勝ちたい! そんな感じ(笑)。プロになるとかそんな大それたことではなく、目標が目の前にいたから。

川村 親父さんは「ケンゾウ」、源ちゃんは「ゲンゾウ」(隆光の旧名・源蔵)。濁点がついている時点で源ちゃんの勝ちやろ!(笑)。

時松 中学生くらいで親父を逆転してからは、明確な目標を立てるよりも、今の自分をとにかく向上させたいと思って練習するタイプだったかな。

川村 まあ、子どもの頃の自分が今の自分を見てガッカリするかもしれないけど、今の自分から子どもの頃の自分にはこう言ってやりたい。「楽しくやれよ!」って。それくらいストイックで真剣すぎた。

「大好きなゴルフをとことんやらせてくれた。親に感謝」(川村)

時松 子どもの頃に練習しすぎて、指が曲がって変形したまんまなんだよね。

川村 一番球数を打っていたからね。500球以上打って、親父が「もう帰ろう」と言うまで打っていたし。「練習に行け」なんて一度も言われたことがなかった。元日に開いている練習場を親父に探してもらって、365日打っていた。それで試合に負けたら帰りの車で号泣するわけだから、親父からしたらたまらなかっただろうね。「そんなお前を見ていたら泣けてきた」と言ってた(笑)。

時松 高校生の頃に、昌弘の真っすぐに伸びない指を見て、こんなすごいヤツがいるのかと。

川村 僕はラッキーだったとも思う。5歳のときから親が毎日付き合ってくれたし、お金もかかっただろうに、「今日はやめておこう」なんて言わなかった。大好きなゴルフをとことんやらせてくれた。世界を旅してゴルフができている今、そんな親には心から感謝しているよ。

※週刊ゴルフダイジェスト2023年9月19日号「時松プロ ご指名プロと技トーク わかったなんて言えません」より

This article is a sponsored article by
''.