30年以上前から、同世代のゴルフを愛する若者たちが集う練習場が都内にある。ハイランドセンター。江連忠、武田登行、内藤雄士、永井延宏の4人のプロコーチは、そこでゴルフの腕を磨き、レッスンをしていた。それぞれが夢に向かって独り立ちしていったあと、長い月日が経ち、久々に一堂に会した。2024年4月2日号の「週刊ゴルフダイジェスト」では、これまでのこと、これからのことを対談形式で語ってもらっている。彼らがどのように出会い、どのようなジュニア時代を過ごしたのか、みんゴル読者にもお裾分け。

話者プロフィール

画像: 江連忠氏

江連忠氏

江連 忠

えづれ ただし。1968年東京都生まれ。
中学時代、棚網良平にゴルフを習う。日大櫻丘高校卒業後、渡米。マイアミ大学を中退後、マスターインストラクターのジム・マクリーンに師事し、米国の最新メソッドを学ぶ。
日本のプロコーチの第一人者で00年片山晋呉、01年伊澤利光を賞金王、07年上田桃子を賞金女王に導く。96年レッスン・オブ・ザ・イヤー受賞。

画像: 武田登行氏

武田登行氏

武田 登行

たけだ のぶゆき。1970年東京都生まれ。
法政大学卒業後、22歳から渡米。フロリダでプロコーチのレッスンを見聞きして勉強。
24歳からツアープロとなり、94~95年豪州ツアー、95~96年アジアンツアー、96~00年日本ツアーでプレー。35歳で引退し、指導者に転身。現在は松原ゴルフアカデミーでヘッドプロを務め、アマチュアの指導に専念。

画像: 永井延宏氏

永井延宏氏

永井 延宏

ながい のぶひろ。1969年埼玉県生まれ。
日大櫻丘高校ゴルフ部ではキャプテンを務めた。日本大学に進学後、ゴルフ場に勤務しながらアマ競技に参戦。
94年に渡米し、フロリダを拠点に試合に出ながらジム・マクリーンなどから米国のティーチング技術を学ぶ。帰国後、ハイランドセンターでレッスン活動を開始。06年レッスン・オブ・ザ・イヤー受賞。

画像: 内藤雄士氏

内藤雄士氏

内藤 雄士

ないとう ゆうじ。1969年東京都生まれ。
日本大学ゴルフ部在学中に米国へゴルフ留学。帰国後ハイランドセンターにて「ラーニングゴルフクラブ」を設立し、レッスン活動を開始。日本人初のツアープロコーチとなり、丸山茂樹の米ツアー3勝をサポート。現在、大西魁斗を指導している。
日大ゴルフ部コーチ。03年レッスン・オブ・ザ・イヤー受賞。

最初の出会いは約45年前、杉並区のハイランドセンター  

みんなで会うのは30年以上ぶりという4人。懐かしさと、期待と、 緊張感が入り交じった“同窓会”がスタートした。

画像: 30年振りに集った4人。

30年振りに集った4人。

GD この4人のなかで一番最初に出会ったのは誰と誰ですか?

江連 それはオレと雄士です。

内藤 ボクが小学5年生で、江連が6年生のとき。ハイランドのジュニアクラブですね。

江連 ジュニアクラブは中学生からですが、ウチの兄貴が入る予定で、オレは一緒に行っただけだったのに、棚網(良平)先生に「お前も入れ」と言われ、お願いしますって。そこからハイランドに通うようになりました。でも、高校時代にはハイランドに住んでいましたね。

内藤 練習場の離れみたいな小屋に屋根裏部屋があって、江連はそこに住んでいました。

江連 当時中野に住んでいて、杉並のハイランドにはキャディバッグを背負って自転車で通っていましたが、移動時間がもったいないから。2年間くらいは雄士の実家で食べさせてもらっていた。雄士のお姉ちゃんも妹も可愛かった。

内藤 ハハハ。永井さんは日大櫻丘のゴルフ部で江連と一緒で、当時中学3年だったボクを江連が合宿に連れて行って、そこで知り合いました。

江連 えっ、中学生が高校生の合宿に来たの? ダメでしょ、そんなことしたら(笑)。

永井 自分が連れてきたんじゃん。

内藤 監督に聞いたら許可が出たって。水戸GCでしたね。

永井 内藤くんは日大明誠だったけど、高校時代も櫻丘の練習によく来ていたよね。

内藤 そうです。(武田)ノブとは中3の関東ジュニアで一緒に回りました。

武田 ノーザンCCで錦ケ原だ。

内藤 そう、ノブとは試合で出会ったんです。

画像: 95年末のハイランドセンターにて。右端から谷将貴、永井、内藤で左端が武田。(写真提供/内藤雄士)

95年末のハイランドセンターにて。右端から谷将貴、永井、内藤で左端が武田。(写真提供/内藤雄士)

永井 ボクは初めて部室の前で江連と会ったときのことを覚えていて、高校に上がる前の春休みに初めてハーフ30台が出たんだけど、江連に「お前、ゴルフはどれくらいできるの?」って聞かれて、「こないだ1回30台が出たよ」と言ったら「そうか」って。「お前は出したことあるの?」って聞き返したらふっと向こうを向いて「何回もあるよ」って。ほかにも新入部員がいて「おい、こいつ30台出したことあるんだって」って江連が。

江連 絶対ウソ。

内藤 いやいや本当でしょ。

武田 そのシーンが目に浮かぶ。

永井 客観的に見れば、江連は選手としてはダントツに上手かった。全国レベルの部員は江連とあと一人くらいしかいなかった。ボクは高校2年で江連とクラスが一緒になったので、今でも普通に学校の同級生という印象です。江連は集中力がすごかった。だから勉強もできた。ゴルフと同じです。でも、高3のときは西川哲がタイトルを総なめにして、江連は全部2位だったんじゃない。

江連 関東ジュニアは2位だけど、日本ジュニアは5位とかだよ。

GD でもキャプテンは永井さんが副キャプテンだったんですよね。

武田 当時、エースはキャプテンをしていませんでしたね。丸山茂樹もそうだったでしょ。

江連 ゴルフはチームスポーツではないからね。永井は人望があった。先輩とも後輩ともちゃんと話せましたから。

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アメリカでのエピソードを含め、どのように日本国内でのレッスン基盤がつくられていったのか、まだまだ続く4名の対談は2024年4月2日号の「週刊ゴルフダイジェスト」と「Myゴルフダイジェスト」にて掲載中!

PHOTO/Shinji Osawa

※2024年3月19日13時32分、一部加筆修正しました。

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