「THE G4D OPEN」初日の話に入る前に選手の(イギリスの?)食事事情
「THE G4D OPEN」初日は、どんより曇ってはいるものの風のないおだやかな天気となり、日本選手たちは張り切ってスタートしていきました。
さて、ウォーバーンGCは、イングランドのバッキンガムシャーにあり、ミルトンキーンズという街から車で15分くらいの場所です。馬が草を食む草原も広がり、また郊外らしく、幹線道路沿いには大型店だらけです。
欧米の物価高、円安の今、食事代は一体いくらかかるのかビビッて来ましたが、本当に高い(泣)。基本はスーパーに買い出しに行き、皆で自炊の日々です。外食しようとお店を探してラーメン屋「WAGAMAMA」を覗いたら、「ramen」が13.5 ~17ポンド。そのままスーパーに向かいました。
ちなみにクラブハウスの食事は、ブラックコーヒーが3.25ポンド、チキンバーガーが15.8ポンド、スペアリブが15.5ポンドです。選手たちのプレーヤーズラウンジの食事は充実しているようで、欧州ツアーに参戦したプロたちの話とリンクします。サンドウィッチやハンバーガーなど味もなかなかだとか。
その選手たちも、コースに入る前に観光したロンドンのビッグベンの近くでの食事が、ビール1杯20ポンド、コーラ1杯10ポンド、フィッシュ&チップスが25ポンドしたとのこと。これも思い出のひとつになるのか……。
しかし、宿泊している一軒家では自炊。今回、吉田隼人のキャディを務める大岩根正隆は、お米を4kgと炊飯器を持参し、朝食やラウンド中の補食にするため、毎日ふっくら炊きあげ、おにぎりなどせっせと作っているのです。
スノーボードのパラリンピアンとして”二足の草鞋“を履く大岩根。食事サポートもお手のもの。「世界で戦っている人間なので、何か力になれないかなと。遠征で学んできたものをすべて伝えたい。先日行われたワールドカップのスノーボード・クロス、今季最後の大会(カナダのビッグホワイトで開催)は2位でした。昨年は優勝したのですが……。今回は日頃ゴルフを教えてもらっている隼人に感謝を込めて、微力ではありますが、優勝に貢献したいですね」
来年以降、選手として本大会に出場したい大岩根。自身の練習にも余念がなく、課題にしているアプローチ、パターを選手たちに教わりながら、誰よりも練習したそう。
「THE G4D OPEN」初日の結果!
さて、試合に話を戻そう。この日はひんやり17度くらいの気温。陽がさすとあたたかい。木漏れ日と鳥のさえずりを気持ちよく感じながら……というのは林の中の話。決してボールを打ってはいけない場所だ。地面は少し湿っているもののプリファードライは適用されず、木の根っこなどからの救済はナシ。曲げるとヤバイ!
日本選手のトップスタートだった秋山卓哉は、スタート10分前にコーヒーを飲んでいる。聞けばいつものルーティンで、リラックスできる方法なのだという。「12年ぶりの国際大会、緊張感が懐かしくて面白いと思います」とドライバーをしっかり振り、左フェアウェイへ。そこから粘りのゴルフで2オーバーにまとめていたが、8番で大事件が! 後ろの組のセカンドショットがティーグラウンドにいた秋山の背中に当たったのだ。「木のワンクッションがあったのですが、動揺してしまって。そこからズルズルと崩れてしまった」と、結果は86の42位タイ。
秋山は小6のとき骨肉腫で左大腿を切断。その後肺にも転移し、約2年は病院と家をいったり来たりの生活。そんなとき、ゴルフと出合いハマった。「ゴルフって小さい成功がたくさんあるし、僕にもできることがあるんだということに助けられました」。会社員を経て、独立。忙しい日々でゴルフから少し離れていたが、この数年で少し余裕ができ、改めてゴルフの楽しさを感じているという。「昔出ていた頃より大会の規模も大きくなっていて楽しい。明日は緊張もしないと思うので、本来の力を出せれば今日よりいいスコアは出ると思います」と、自分らしさを意識しながら戦うつもりだ。
小林茂は、スタートホールで「なんだかアイアンで打っている人いるね。でも僕はドライバー。右の林は絶対ダメ、左めに打っていきます」と自分に言い聞かせるようにショット。結果は狙いより少し左に行きすぎたがまずまずだった。その後、前半で42とスコアを崩すも粘って、後半は39。「ドライバーはいいんだけどね。パターが入らなかった。芝目はわかっているのに、何だか信用できなくて、保険をかけて打ってしまった」とベテランならではの敗因を挙げる。結果は81の42位タイ。「でもダボはなかったし、まだ2日あるし、ドライバーはいいから、明日は70台で回りますよ。同じ組の2人は若いからやっぱり飛ぶし体力がある。でも、そこはかなわないけど、ゴルフ的にはオレのほうが上手いはず。そう思っていないとやってられないでしょ(笑)」と明るく話してくれる。
小林はいつも明るい。練習場連盟のプロとして、レッスンで生計を立ててきた小林は、数々のゴルファーを育ててきた。棒高跳びの選手だった小林が15歳で障害を持った後、出合ったのがゴルフ。テレビでゴルフを見て「これからはゴルフだ!」と思い始めた。「障害者は皆苦労しています。だから逆に明るくしているし、すごく研究する。僕はいつもピンときているんです」という鋭い観察眼で、本大会からも何かを学んで自分と生徒さんの糧にするのだろう。
なお、吉田隼人は78で14位タイ、小山田雅人は85で40位タイだった。
※2024年5月17日11時48分、一部加筆修正しました。