今年と同じパインハーストNo.2で行われた1999年全米オープン最終日。ペイン・スチュワートは最終18番で10メートルのパーパットを沈め1打差でフィル・ミケルソンを突き放して優勝。だが、4カ月後、航空機事故により急逝。その後、コース内にモニュメントが作られた(写真上)
熱戦が繰り広げられてきた超難コース! 「パインハーストNo.2」
「No.2は、起伏のあるグリーンとバンカーにより、卓越したロングゲームとショートゲームが求められる」 ードナルド・ロス
1872年、スコットランドのドーノックで生まれたロスは、10代でセントアンドリュースに赴き、トム・モリスの下でコース管理、ルーティングなど設計について多くの事柄を学んだ。ドーノックに戻ると所属プロのジョン・サザーランドの下で6年ほどプロ兼グリーンキーパーとして働き、所持金2ドルだけで新天地アメリカに向かった。ボストンのオークリーCC所属時代、会員だったジェームズ・W・タフツに出会ったことが後に幸いすることになる。なぜなら富豪のタフツ家は、ゴルフ場建設に適したノースカロライナのサンドヒル地帯にリゾートを建設する計画を持っていたからだ。
1900年、パインハーストのプロに就任、07年にNo.2コースを設計した。ロスが優れていたのはコースのルーティングだった。13年アマチュアのF・ウィメットが20歳で全米オープンに優勝すると空前のゴルフブームとなり36年までに5000コースも造られ「コース建設の黄金時代」とされた。ロスはパインハ―ストをはじめ、実に413コースを設計し、改造を含めると600以上にもなるという。大半は、No.2コースの3番ホールに隣接する自宅内で構想を練り、設計図を完成させていた。
「パインハーストは米国ゴルフの故郷的な存在です」 ー川田太三
初めてパインハーストをプレーしたのは1970年代で、90年代、05年、そして改造後にもプレーしています。99、05、14年には全米オープンのレフェリーとして参加しました。10年の改造はフェアウェイやウェイストエリアの整備などがメインで、見た目にも劇的な変化はありませんでした。どちらかといえば「改造」ではなく、「リファイン」したと言えます。つまりパインハーストの特徴をそのまま生かして、一見して変化が分からないようにされたわけです。もちろん、フェアウェイやウェイストエリアの整備もされたので形状はより明確にされました。
4ホールのうち最も短いパー3だが油断はできない。グリーンは2段で左のバンカーや奥に打ち込んでしまうと狭いためスコアを崩すことになる
フェアウェイは右から左へかなり傾斜があるためテーィショットは右を狙う。グリーン左側は高低差があることから2打目は右側から攻めるのが正解になる
グリーンの特徴といえば、お椀形の形状が多く、ピンを攻めるにはボールをどこに落とすかが難しくなります。パー3ではオーバーもショートも良い結果を得ることができず2、3打目勝負ということになります。また、フェアウェイとグリーン、バンカーなどの境界が明確ではないホールもあり、選手を悩ませることにもなります。このようなケースでは、レフェリーが「グリーン」といえばグリーンになるわけです。
1999年全米オープン最終日、ペイン・スチュワートはこのホールをバーディにして1打リードし、18番での劇的な勝利へと結びつけることになった重要なホール。ホールの右側に打ってしまうとかなり難しくなってしまう
フェアウェイは右から左へと傾斜がありティーショットは右狙いが正解となる。14年全米オープン優勝のマーティン・カイマーはこのホールをイーグルとした
構成・翻訳/吉川丈雄(特別編集委員)
参考資料/The Golden Age of Golf Design
The World Atlas of Golf
Pinehurst Resort Home Page
PHOTO/小誌写真部、USGA/Chris Keane、Getty Images
===
※全米オープン2024が開催される「パインハーストNo.2」の魅力については「週刊ゴルフダイジェスト」6月25日号、またはMyゴルフダイジェストにてチェック!