1960年代から2000年代初頭まで、50年の長きに渡って躍動した杉原輝雄。小柄な体、ツアーでは最も飛ばない飛距離で、当時トーナメントの舞台としては最長の距離を誇る試合で勝ったこともある。2打目をいちばん先に打つのだが、そのフェアウェイウッドが他の選手のアイアンより正確だった。ジャンボ尾崎が唯一舌を巻いた選手で、「マムシの杉原」、「フェアウェイの運び屋」、「グリーンの魔術師」「ゴルフ界の首領(ドン)」と数々の異名をとったのも頷ける話だ。「小が大を喰う」杉原ゴルフ、その勝負哲学を、当時の「週刊ゴルフダイジェスト」トーナメント記者が聞いた、試合の折々に杉原が発した肉声を公開したい。現代にも通用する名箴言があると思う。
画像: 92年の杉原輝雄

92年の杉原輝雄

ゴルフは3つの要素と戦う競技

ーー「ゴルフというのは3つの要素、「相手」「コース」「自分」と戦う競技。中でも「自分」がいちばん難敵や」

ゴルフというのは3つの要素と戦う競技、すなわち「相手」「コース」「自分」との戦いです。この中でもいちばんの難敵は自分です。

自分との戦いに中にも、ラウンドで自己の精神力をコントロールせないかん問題と、もうひとつあるんです。それは自分のプレー、スコアを自己申告せないかんということです。これが最大の難関やないやろか。

いわゆる“ズル”です。OBのボールを動かしてセーフにするというのは悪質すぎて論外やけど、アドレスでソールしたらラフの中でボールが動いてしまった、誰も見てへんから黙っとこ、それこそ「悪魔のささやき」との戦いのことです。球聖と呼ばれたボービー・ジョーンズさんは誰も気づかなかったけれど、ラフの中でボールが動いたと申告。その1打で全英オープンとれなかったわけやけど、それが美談になりまして、ジョーンズさんが言ったことは「スコアをごまかさなかった私を誉めてくれるのは、銀行強盗をしなかった私を誉めてくれるようなものである」と。ボクらはこれを範としなければなりませんよ。しかし、これがいちばん苦しい戦いかもしれません。

でもこれが実は人間の値打ちを決めることや思ってます。ゴルフだけやありません。どんな仕事でも、社会的マナーの面からもいえると思います。人が見とらんから、手を抜く……、誰も見とらんから車からゴミを捨てる……、公衆便所を汚く使う……、いろいろあります。責任の所在を明らかにする、ということも大事やけど、誰も見てないところで起きたミスをどう処理するか、ここで人間の値打ちが決まると思ってたほうがええと思いますよ。

勝負師を自分がつくる

ーー「天性の勝負師はいない。勝負師はつくられるもんや。意外性のないゴルフは勝負師のゴルフやない」

ボクは遊びで、麻雀、将棋をやるが、よくどちらも上手とはいわれんでも勝負強いとはいわれます。麻雀が勝負強くゴルフは勝負弱いということは滅多にない。もしそういう人がいたら、ゴルフが勝負弱いのでなく、下手なんです。だから、勝負強い、弱いは、上手、下手とは別もんや、そう思うんです。

勝負強い人は、ゴルフが下手でも下手なりに、ここいちばんでロングパットを決めたり、粘ったりして何か意外性があることが多いんですよ。麻雀、将棋で暇つぶしでもいい加減な打ち方や指し方はしません。

たとえば同じ勝つにも単なる偶然やツキで勝ったように思われる勝ち方と、勝負強さを感じる勝ち方がありますんや。また、負けるにしても同様で投げてしまうような負け方と、楽には勝たせてくれないと相手に思わせるような負け方があるんですわ。ボクは勝っても負けても後者のような打ち手、指し手になりたいから、いい加減にはしないわけです。

相手をギャフンといわせて勝ちたいし、負けるときもただでは負けんで、という気持ちで相対するんです。苦しめるだけ苦しめて粘りに粘る。これは意地が悪いとか、大人気ないとかそうでなしに、勝負強くなるための一つの方法だと思うので、そうするわけです。

勝負師ゴルファーとしてのしたたかさを身につけるにはむしろ、ゴルフ場の日常の遊びの中にあるともいえます。天性の勝負師などいません。耐える克己心、時には目をつぶってぶつかる度胸、勝負師に不可欠の要素は当人の自覚で身につけることができるんです。

文/古川正則(ゴルフダイジェスト特別編集委員)

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