高須克弥「緑のコースよりも気に入りました」【アラブ首長国連邦・ドバイCC】
ドバイに行ったのはテレビCM制作のためで2007年のことです。おそらく一度は見ていただいたことがあると思いますが、ヘリコプターに乗ってドバイの高層ビル群の上を飛ぶCMです。ドバイにもエミレーツGCやドバイクリークゴルフ&ヨットCなどのコースが、活気が出始めて話題になった時期でもありましたが、私が興味を抱いたのはもっと昔からある砂地のドバイCCです。
見渡す限りという表現が最適と思われるほど、あたり一面は砂漠で、そこにティーイングエリアがあり、後はグリーンまで草一本生えていない砂のままです。
当然、グリーンも砂で造られていますから、グリーン表面をならす箒が置かれ、パットの前に必ずならして打つわけです。
かつて青木功プロにパッティングの極意を訊ねたところ、「ピンに向かってヒールで打つ」、そして「オーバーしたらどれだけ曲がったか跡で分かる」。
グリーンの表面が砂ですからボールの軌跡が残り、ラインが分かるわけですね。
長濱治「コースまでは遠かったが人の心は近かった」【キューバ・バラデロGC】
1980年代半ばにゴルフを知り「こんな面白い遊びはない」と、ハマりました。当時私は、ドキュメンタリー、ファッション、コマーシャルなどの撮影を中心にしていましたが、ゴルフを始めたことから被写体としてのゴルフの写真を撮るようになりました。
そんな時期に作家の北方謙三さんと「どこか旅をしたいね」となり1985年〜1986年頃キューバに行くことになりました。
北方さんは作家アーネスト・ヘミングウェイのファンで、キューバ葉巻の愛用者でもあり、社会主義国ながら楽天的なキューバに興味を抱いていました。かつて米国デュポン社が所有していたバラデロGCはカストロ政権下で閉鎖されプレーは不可でしたが、4年後に、吉川英治文学賞、角川小説賞の受賞歴のある冒険作家の田中光二さんと訪れた時、ゴルフ場へと復活していたんです。田中さんもヘミングウェイのファンで「キューバで『老人と海』の場所を見たい」と言っていましたので一緒に出かけたわけです。
バラデロは増える観光客のためにゴルフ場として再開され、経済封鎖されているキューバにとって貴重な外貨収入源として活用されていました。
「ゲーリー・プレーヤーに出会った」【南アフリカ・ロストシティGC】
1991年~1992年頃だと思います。「どこかに行きたいね」と、またしても作家の田中光二さんと話している時、南アフリカはアパルトヘイトが終了した時代で、領事館の知り合いに「サンシティというリゾートができたので取材に来ませんか」と誘われ、出かけることになりました。
取材自体は4〜5日で終わり、ホテルで朝食を取っていると、近くのテーブルにいたゲーリー・プレーヤーと目が合ったんです。その瞬間、彼が立ち上がりこちらのテーブルに移ってきて、「おはようございます、何してます?」と聞かれました。そして「新しいゴルフ場を造っているのでよかったら見ますか」と誘われ、ホテルの庭から専用ヘリコプターで一緒に行ったのが建築中のロストシティGCでした。
「空港からそのままゴルフ場へ」【エクアドル・グアヤキルCC】
直木賞作家の西木正明さんとエクアドルのガラパゴスに行くことになりました。エクアドル最大の都市グアヤキルに到着しましたが、高度を下げている時に眼下にゴルフ場があるのを発見。空港で出迎えてくれた商社の方に「ゴルフ場が見えました」と話したところ、「多分、私が会員になっているグアヤキルCCで、私、そのクラブのクラチャンです」。一緒に出迎えてくれた夫人は同じクラブのレディスチャンプでした。
「面白いですよ、プレーしますか?」と尋ねられ、「行きますと」答えると「では、今から行きましょう」となり、そのままコースに向かいました。
プレー中、突如スコールになり、雨が上がると美しい山並みが印象的でした。
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※週刊ゴルフダイジェスト2024年8月13日号「世界の果てまで入ってGOLF! 最果て体験談」より一部抜粋