週刊ゴルフダイジェストの連載「PGAツアー HOT LINE」でおなじみの“コーリーさん”。米国出身の彼は、なぜ日本に? そもそもPGAツアーのディレクターとはどんな仕事? 好きなことを仕事にするってどんな感じ? 質問をぶつけてみた。【全2回中2回目】
コーリー・ヨシムラ
PGAツアーのアジア全体のマーケティング&コミュニケーションディレクター。1982年、米国ユタ州ソルトレークシティ生まれ。ゴルフ歴は4歳〜
信頼できる“仲間”がいる
約10年間のニューヨーク勤務中、日本の広告会社にたびたびスカウトされていたこともあり、日本に移ることを決断。妻と3人の子とともに海を渡った。
日本の新居で「子どものために二段ベッドを探していたんですが、なかなか条件に合うものがなくて。何カ月か探して、やっと中古品のやり取りのサイトで良さそうなものを見つけ、引き取りに行ったんです。そしたら、持ち主さんの玄関にユタ大学のロゴがある。聞いたら日本IBMの方で、もともと私と同じように伝道のため来日したというので驚きました」。
その縁で、広告会社の後「日本IBMにマーケティング部長として勤務することになりました」。広告会社に1年、二段ベッドの縁で日本IBMに2年。その間に、日本IBMにやって来たのが、現在PGAツアーアジア太平洋の社長、クリス・リー氏だった。
「当時、ZOZOチャンピオンシップはまだなく、タイトルスポンサーを探しているところでした。日本IBMが候補になっていたのですが、実現には至らず。でも、そこでゴルフに関わる仕事への情熱が燃え上がって。それで、思い切ってPGAツアーにコンタクトを取って『仕事はありませんか?』と尋ねたんです」
そこから何回かの面接を経て、PGAツアーインターナショナルジャパンで働き出したのが7年前、35 歳の時だ。仕事の内容は日による。
「シーズンによって全然違うことをしますが、主な仕事としてメディア対応があります。週刊ゴルフダイジェストの連載『PGAツアー HOTLINE 』もそのひとつです。プレスリリースを書いたり、JGTOの選手とPGAツアーとの橋渡し的な存在になることもあります。ZOZOチャンピオンシップの時はSNS担当。大会のホームページの英語版も作りますし、ソニーオープン・イン・ハワイとザ・セントリーはもともと日本との関係が深い大会なので現場に行きます」
勤め始めたときの肩書はオーディエンスディベロップメント担当のディレクターだった。PGAツアーのファンを増やすのが仕事だが「当時、PGAツアーから日本のファンに向けたサイトはなかったんです」と言う。
それが現在は「インスタグラムやフェイスブック、X(旧ツイッター)などでアピールしています。今年のZOZOチャンピオンシップには俳優の反町隆史さんがゲストでいらしてくれたんですが、反町さんがビデオ撮影している様子を私がビデオ撮影したんです。それで反町さんのビデオと私のビデオをブレンドして公開したら大好評で、200万回再生されました。
去年はメジャーリーグのヌートバー選手を案内して話題になりましたが、実は、現在、PGAツアーとヌートバー選手とのコラボも考えているんです」。
7年間この仕事をしていますが毎日楽しくてたまりません
PGAツアーに自らコンタクトを取って面接を受けてから採用の決定が出るまで約1カ月かかったというが、
「1カ月間、ずっとワクワクしていました。ドキドキというよりワクワク。アメリカの子どもってクリスマスが大イベントで、みんなその日までドキドキワクワクで過ごすんです。PGAツアーから連絡が来るまでの気分がまさにそれでした」。
縁を大事に、チャンスは自分で手繰り寄せ、現職。冒頭にある通り、毎日楽しくてたまらないという。
「PGAツアーにとって日本は非常に優先度の高いマーケットとされています。ZOZOチャンピオンシップの契約は終わりましたが、次があるでしょうし、いつかプレジデンツカップが日本で開催されればとも考えています。この仕事を7年やっていますが、まだまだこれからというか、始まったばかりとすら思います。
一方で今、日本のプロゴルフ界は選手が成熟しています。松山英樹選手はもちろん、星野(陸也)選手、大西(魁斗)選手、中島(啓太)選手もいるし、女子選手も強い。私はPGAツアーのディレクターですが、ゴルフ界全体を盛り上げたい。特にジュニアゴルフに力を注ぎたいという思いがあります。“次のヒデキ・マツヤマ”を見つけたいし、育ってほしいなと思います」
自身の3人の子どもたちもゴルファーだが、並行して長男は陸上、次男は野球、長女は新体操でも活躍している。3人には「ゴルフがいかに楽しいか。そして、人生でどれほど役立つか」は折に触れて伝えているという。もちろん、自身の経験をふまえて。
PHOTO/Akira Kato
※週刊ゴルフダイジェスト12月10日号「私の履歴書 コーリー・ヨシムラ」より一部抜粋