
自宅から約10分の宍戸ヒルズCCでの本取材で、段取りを完璧に整えてくれた星野。コースの方々に挨拶すると、「またスターになったねえ」と声をかけられ、少し照れくさそうにしていた
爆風50ヤードのなかのプレーで成長しました
欧州では50ヤードの“爆風”が吹くこともあり最初は驚いたという星野。
「この中でどうやって皆、5アンダーとか7アンダーとか出してるんだって。一昨年のスペインのアンダルシアの試合では、30ヤードくらいの風でギャラリーテントが吹っ飛んでいるのに、普通に試合するんです(笑)。でもそのぶん、グリーンをやわらかく重くはしています。9フィートなんていうときもあるから、乗ったら乗ったでグリーンがボコボコみたいなこともある。せっかく50ヤードの“爆アゲ”のなかで打ったショットがピン側に付いても――ハーフに1回くらいしかないのに(笑)――打つ瞬間に突風が吹いて、なぜか逆方向に転がる、といったことも。でも慣れれば楽しいです」
一番“ヤバい”風が吹いた試合は昨年の南アフリカ最南端のコース。
「リンクスコースの雰囲気で、フェアウェイを外すとすぐブッシュなんですけど、そこに入れると絶対にボールが見つからない感じ。曲がった瞬間『OB!』ということになる。あるホールで左から強風が吹いていたんですけど、僕はドローヒッターなので、そういうときは普通、左のOBゾーンに向かって真っすぐに打てばいいと考えます。でも50ヤード爆風だからそれでは足りなくて、そこに向かってフックを打たないといけないんです。それで案外上手くいく。打つ球のバリエーションが必要だってわかります」

「ドライバーで240ヤードくらいしか飛ばないんです。最初はもうびっくりでした」。そんな星野の欧州で一番好きなコースは、「イギリスのウェントワース。日本と同じような林間で、芸術みたいなコースでした」
歴史オタク陸也。エジプトで乗ったのは……。
実は”歴史大好き”な星野。
「昔から世界史だけは得意で、クラスでもだいたい5位以内だった(笑)」というが、特に参戦1年目は、街歩きや世界遺産巡りがよい気晴らしとなった。「楽しみながら自分をコントロールしていた」。厳しい移動、ウェイティング、異国の地での慣れない生活、体調や調子を何とか維持しながらの転戦……苦しい時間を何事も楽しむことで乗り越えてきたのだ。なかでも小さい頃からの夢、エジプトに行ったことは感慨深い。
「ケニアの試合から一旦帰国するのにエジプト経由のほうが安くて。半日エジプトにいられるので、すぐにガイドさんをお願いしたんです。するとピラミッドまで馬に乗って行くという。砂漠だから馬のほうが楽だと、いきなり乗馬させられた(笑)。何とか乗れました。帰る途中、(カイロ博物館で)ツタンカーメンも見ましたし、夢が1つ叶いましたね」

本人提供写真。自身の後ろには、世界遺産、名所、名画。中学のときは毎日図書館に通っていたという星野。最初にハマった本は『ハリー・ポッター』。その聖地でも、もちろんパチリ
クラブオタク陸也。ヨーロッパでも認知される。
自他ともに認める「オタク気質」の星野。
「鉛はもう、一番大事です」と、世界中どこでも持ち歩くという業務用の鉛ロールを嬉しそうに披露してくれた。すべてのクラブに1ミリ単位で鉛を貼り、「新しいクラブでも少し誤差があるから」と微調整する。大事な鉛が剥がれるのが嫌でアイアンカバーを1本置きに付けてもいるが、「欧州ツアーでは有名になっていて、コースで落としても『君のでしょ』って、皆が拾ってきてくれるんですよ(笑)。そういえば、“アイアンカバー仲間”にはアーロン・ライがいて、この前一緒に写真を撮りました。鉛も同じような選手をいつも探してはいるんですけど、まだ“鉛仲間”は見てないです」。

ツアーのお供、業務用鉛とアイアンカバー。将来の夢の1つは鉛の製造。「クラブのどこに貼ったらやりやすいかの説明書付きで売り出したら面白いかなって。コース設計も面白そう。激ムズ(難しい)なコースをつくりたいですね」
ベルギーの18番で「ハッピーハーズデー!」
5月12日が誕生日の星野。一昨年は“ツアー”が祝ってくれた。ソウダルオープン(ベルギー)2日目のホールアウト後、アテストに向かおうとするとアナウンサーとスタッフが「ちょっと待っていて」と言ってきた。
「マイクで今日が僕の誕生日だと紹介されて、スタンドで囲われている18番のグリーン周りで、『ハッピーバースデー、りくや』と歌ってくれたんです。まだ試合中ですよ。後ろの組は川村(昌弘)さんたちで、フェアウェイのど真ん中で待っているんです(笑)。あいつ、何やってんだって感じですよね。でも嬉しい思い出です」

ときどき一緒に食事にも行く、日本選手の存在も心強かった。「(誕生日の)試合の後に、川村さんと久常(涼)とご飯に行き、お祝いみたいなことをしてもらったんですよ」
南アフリカのホテルはやっぱり物騒です
昨年、初めて南アフリカの試合に参戦した星野。最南端のケープタウン近くのコースと、首都・ヨハネスブルクのコースの2連戦だった。
「行くかどうかは迷ったんです。ヨハネスブルクなんて、治安が悪くて有名で、さすがに怖いですしね。でも行ったことがなかったので何事も経験と。さすがに怖いから、最南端ではオフィシャルホテルに泊まりました。犯罪が多いから、全部の窓に鎖なんかも付いていたんですけど。それにしてもけっこう古くて、イモリとかが天井にいるんです。そして、うんちを落としてくる(笑)。こっちも怖いですよね」
聖地で「WHO IS HE?」
22年、ゴルフの聖地で行われた全英オープン。星野はウェイティング3番目だったが迷わず現地へ。
「ギリギリ入れるかどうかでしたけど、セントアンドリュースには、お金がかかっても、練習ラウンドだけになっても、行くだけでも価値があると思いました」
試合当日、クラブハウスで朝6時半くらいから待機。コーヒーを飲みながらゆっくりしていた星野に、出場の朗報が!
「7時くらいにいきなり。走ってティーグラウンドに行ったら、同組のモリナリがもう打っていて……練習もせず、いきなり2番アイアンで打ちました」
実はこの組、ジャスティン・ローズ、フランシスコ・モリナリ、トミー・フリートウッドの「地元のスーパースター組」。ローズが欠場になり、星野に出番が回ってきた。
「4ホールくらいまで、ジャスティン・ローズとしてプレーしていたんですよ。ボードの名前も映像の名前もジャスティン・ローズだし。地元の人が『フー・イズ・ヒー?』って。100回くらい聞きました(笑)。でも僕、数ホールくらい3人のなかでもショットが超よくて、あまりバッシングは聞こえてこなかったです。『おお、いい球打つな、あいつ』って(笑)」
得難い経験をゲットした星野だが、もう1つゲットしたものは……「帰りに体調が悪くなって。そういえば、モリナリが2日目にはかなり激しく咳をしていたなあと(笑)」。

22年の全英オープン出場が決まってすぐの星野。まさか「ジャスティン・ローズ」としてプレーしている時間があったとは!確かに薬丸キャディのビブスには、この時点でまだ名前がない……
PHOTO/Tadashi Anezaki