ツアー解説でおなじみの佐藤信人プロ。今回は南アのホープ、アルドリック・ポトギーターについて語ってもらった。
画像: 南アのホープ、アルドリック・ポトギーター。「飛ばし屋だが、柔らかいナチュラルなスウィング。『自分は感覚的なゴルファー』と自己分析。『ボールが右に飛んだら左に向いて打つだけ』。若さ、素直さは武器でもあります」と佐藤プロ(PHOTO/Getty Images)

南アのホープ、アルドリック・ポトギーター。「飛ばし屋だが、柔らかいナチュラルなスウィング。『自分は感覚的なゴルファー』と自己分析。『ボールが右に飛んだら左に向いて打つだけ』。若さ、素直さは武器でもあります」と佐藤プロ(PHOTO/Getty Images)

メジャー勝利が一番多い国といえば、言うまでもなくアメリカ。これにスコットランド、イングランド、南アフリカが続きます。4位の南アフリカは、メジャー通算22勝。ゲーリー・プレーヤーやアーニー・エルスを筆頭に、世界的名プレーヤーを輩出してきたゴルフ大国です。

ところが10年のリー・ウエストハイゼンの全英オープン、11年のシャール・シュワーツェルのマスターズ以降、勝者はおろかメジャーで上位に顔を出す選手すら少なくなっています。そんな"かつてのゴルフ大国"に現れた期待の大型新人が、アルドリック・ポトギーターです。

ウエストハイゼンと同じ、モッセルベイ出身の20歳。ウエストハイゼンのジュニアアカデミーで、ゴルフを覚えました。彼のゴルフには03年のプレジデンツカップが大きく影響しているのではないかと想像しています。彼が生まれる10カ月前、自宅からほど近いファンコートでプレジデンツカップが開かれました。両チームのキャプテンは帝王、ジャック・ニクラスと南アの黒豹、ゲーリー・プレーヤー。シングルスが終わったところで同点。プレジデンツカップはこのときルールがなく、急きょ各チーム1人の代表が戦うことに。

タイガーとエルスの3ホールのサドンデスは日没となり、双方アイデアを出し合った結果、大会史上初の引き分けに。プレジデンツカップ史上最も盛り上がった大会になりました。

「ボクのゴルフには両親とアカデミーの存在が大きい」とは、ポトギーターの言葉。

想像ですが、プレジデンツカップが残した熱狂は、両親のゴルフへの興味につながったのでしょう。

愛息が5歳になった頃には、郷土の英雄がアカデミーを創設、8歳で一家はオーストラリアへと移住しますが、両国のジュニアの試合でメキメキと頭角を現していくのです。22年、17歳になったポトギーターは、ロイヤルリザム&セントアンズで開催された全英アマを大会史上2番目の若さで制します。その資格で同年の全英オープン、翌年のマスターズと全米オープンへの切符を手に。唯一、全米オープンで予選通過を果たしましたが、彼の名を世界に広めたのが圧巻の飛距離でした。

なんと18歳にして同大会のドライビングディスタンスで1位になったのです。ローリー・マキロイやブライソン・デシャンボーといった飛ばし屋を抑えての1位ですから、そのすごさがわかります。

全米オープン後にプロ転向、24年はQスクールからコーンフェリーツアーに参戦。2戦目のバハマでは史上最年少で初優勝。ちなみにそれまでの記録はジェイソン・デイ。

ほかに10代で同ツアーで勝った選手には、イム・ソンジェとアクシャイ・バティア。いずれもすごい選手になっています。ここでも飛距離は圧倒的。昨年同ツアーのドライビングディスタンスは336.5ヤードで、2位に8ヤード差をつけての1位でした。

今季、ファーマーズインシュランスオープンでは3日目を終えて3位で、最終日は最終組でプレー。最終日は崩れて15位タイでしたが、この試合でもドライビングディスタンス1位でその破格の飛距離は米放送席でも話題に。ますます楽しみですね。

※週刊ゴルフダイジェスト2月25日&3月4日合併号「さとうの目」より

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