国内&海外で人気のカーボンシャフトを手がける藤倉コンポジット。そのメイン工場が福島・南相馬市にあるが、東日本大震災から13年ぶりに再稼働したという。週刊ゴルフダイジェスト3月25日号では小高工場に取材を慣行。「みんゴル」では2回に分けてご紹介。【2回中2回目】
 
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巨大地震、巨大津波、そして原発の事故。度重なる震災に見舞われたフジクラシャフト小高工場。工場内の機械を運び出し、原町工場で生産は再開したが、小高工場の再稼働まで13年がかかっている。あまりにも長い年月だ。

「地震や津波の後、とにかくスタッフの命を守ることを考えました。当時は電気も止まり、避難す
るにも下の道路はめちゃめちゃです。幸いスタッフのクルマは無事でしたからクルマで寝泊まりして、避難させるタイミングを見計らっていました。スタッフの中には家を失った人もいますし、家族を亡くした人もいます。だから今でもときどき思うんです。スタッフを待機させる判断は正しかったのかと。ですが、スタッフを守ることは最善だったはずです。
 
スタッフの避難は完了できましたが、その後の復旧作業は本当につらかったです。原町工場の生産再開もそうですが、スタッフは戻ってきてくれるのか? 老朽化した原町工場でどこまでやれるのか? 小高工場には戻れないのか? 結果的には原発事故による放射線が大きな障害になりました。移送作業は思うように進まなかったですし、立ち入り制限はいつ解除されるかもわからず、この先、どうなるのか? 不安だけが募る日々でした。当時、私はひとり暮らしでしたが、夜はとても怖かったです。窃盗が頻発していたからです。海岸線をクルマで走ると家財道具や金庫を物色している外国人も見かけました。だから玄関には常にゴルフクラブを置いていました」(石部さん)

画像: 被災した小高工場だが、建物はほとんど無傷だった。「新工場は見せる工場になっています。見学用の廊下が造ってあってガラス越しに作業が見られます。私たちの技術は見ただけでは盗めません。そんな自負もあります」(石部さん)

被災した小高工場だが、建物はほとんど無傷だった。「新工場は見せる工場になっています。見学用の廊下が造ってあってガラス越しに作業が見られます。私たちの技術は見ただけでは盗めません。そんな自負もあります」(石部さん)

「震災後、小高工場にあった機械や設備はすべて移したので工場内は空っぽでした。ですので、原町
工場で生産が再開すると小高工場に行くことはなくなりました。ただ原町工場は老朽化で建て替えが必要でした。増改築するにも限界があったし、別の場所に新工場を建てるというのも厳しい状況です。そこで注目したのが小高工場です。
 
すでに建物はありますし、ダメージもほとんどないですからベストな選択ではないかと考えたんです。その可能性にかけ、石部と動き始めました。南相馬市の避難指示区域の全面解除は2016年でしたから、その後からだったと思います」(庄子さん)

画像: 「小高工場は原町工場の約2倍の広さがあります。震災当初は戻れないかもって覚悟しましたが、再稼働ができて本当に良かったです。スタッフたちも快適に作業が進められていると思います」(石部さん)

「小高工場は原町工場の約2倍の広さがあります。震災当初は戻れないかもって覚悟しましたが、再稼働ができて本当に良かったです。スタッフたちも快適に作業が進められていると思います」(石部さん)

再稼働した小高工場の建物は、10年以上経過した印象がまったくなかった。その理由について石部さんは教えてくれた。

「当時、除染作業を担当していた安藤ハザマという会社が、小高工場を事務所として使っていたんで
す。作業をするうえでうちの工場は最適な場所だったみたいです。施設を使い続けてくれたことが、建物の老朽化を防いでくれたんだと思います。人が出入りすれば、空気は循環しますから、それが良かったのかもしれません。ロボットテストフィールドの芝も安藤ハザマのスタッフが管理してくれて、本当にありがたかったです。
 
小高工場への移転が決まって庄子が機材や設備など、ハード面を担当してくれました。私はスタッフの確保を担当しましたが、2年以上かかりました。スタッフと面談を重ね、納得のいく形で小高工場を再稼働させたかったからです。南相馬も隣の浪江町もそうですが、避難指示が解除されてもなかなか人は戻ってこないんです。避難先で5年以上暮らせば、そこが新たな拠点になってしまうのは当然ですからね」

画像: ロボットテストフィールドは350Y以上。「ここでスウィングにおける、シャフトの挙動をチェックしています。小高工場ができるよりも前からあった施設で、以前から当社が所有していた土地です」(庄子さん)

ロボットテストフィールドは350Y以上。「ここでスウィングにおける、シャフトの挙動をチェックしています。小高工場ができるよりも前からあった施設で、以前から当社が所有していた土地です」(庄子さん)

小高工場の再稼働に向け尽力した2人に将来の夢を聞いた。

「工場の広さは申し分ありません。今後は設備投資し、生産効率の向上だけでなく、新たな技術開発にも取り組んでいきます。カーボンは炭素繊維と樹脂の複合で、その巻き方(積層)次第で設計は無限にあります。その可能性をもっと高めていきたいです。また新規事業としてドローン用のカーボン製品にも着手しました。実は南相馬はロボットの町なんです。ドローンや航空宇宙関連に力を入れていて、昨年からロケットのベンチャー企業も参入しています。そういった町の復興にも貢献していきたいです」(庄子さん)

画像: 「フジクラシャフトの工場は同じものを大量生産しません。うちのポリシーは、多品種少量生産です。小高工場では素材の調達から切断、製造、商品検査、出荷までを行っています」(庄子さん)

「フジクラシャフトの工場は同じものを大量生産しません。うちのポリシーは、多品種少量生産です。小高工場では素材の調達から切断、製造、商品検査、出荷までを行っています」(庄子さん)

「私は4月からベトナム工場に異動です。新工場長は庄子になります。小高工場はフジクラシャフ
トのマザー工場です。ベトナムに行っても小高工場に追い付けるよう頑張りたいですね」(石部さん)

PHOTO/ Yasuo Masuda、藤倉コンポジット提供 
THANKS /藤倉コンポジット小高工場

※週刊ゴルフダイジェスト3月25日号「13年ぶりの再稼働」より一部抜粋

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