マスターズの面白記録1934~90年の10話をご紹介!
今週行われるゴルフの祭典マスターズ。1934年以来、多くのエピソードが生まれ語り継がれてきた。かつてマスターズのプレスルームには多くの資料が置かれ、記者は自由に手に取ることができた。なかでもRECORD of THE MASTERS TOURNAMENTという小冊子にはさまざまな出来事が掲載されていた。そのなかのBELIEVE-IT-OR-NOT TOURNAMENT ODDITIES(信じるか信じないか試合での奇妙な事)からいくつか紹介してみたい。
【ep.1】驚異的な大波

若き日のクレイグ・ウッド
1936年クレイグ・ウッドの初日は88と大叩きだった。だが2日目になると67というスコアを記録し、その差は実に21打と大きかった。
【ep.2】最年少と最年長のチャンプ

84年、中日クラウンズに出場したジャック。ニクラウス
1980年に優勝したセベ・バレステロスは23歳と4日だった。その次に若い勝者は63年のジャック・ニクラスで23歳と2カ月だった。ニクラスは75年までに5回優勝をし、86年に6度目の優勝をしたときは46歳だった。
【ep.3】信じられない

左が中嶋常幸/右がトム・ワイスコフ
1978年中嶋常幸は13番ホールで13も叩いた。80年トム・ワイスコフは12番ホールで13も叩いた。この記録は1ホールの最多ストロークだ。
【ep.4】3パットでの上がり

ハーマン・カイザーはかろうじて逃げ切ることができて優勝した
1946年ハーマン・カイザーは最終日の18番で3パットをして74にしてしまった。追従するベン・ホーガンは1打差で、最終ホールをバーディにすれば優勝することができたが、何とホーガンも3パットをしてしまった。ハーマン・カイザーはかろうじて逃げ切ることができて優勝。
【ep.5】トラブルショット

ボビー・ジョーンズとペアで回ったジミー・ディマレ
1947年の初日、ジミー・ディマレは15番グリーン手前の池に打ち込んでしまったが、打てそうな状況だったため果敢に挑戦した結果、ピンから1.2メートルに付けバーディ。この年の勝者となった。
【ep.6】スピード記録
1947年ジーン・サラゼンとジョージ・ファジオは初日、1時間57分でランドしてしまった。その時サラゼンのスコアは70だった。1960年ジョージ・ベイヤーとジャック・フリックは1ラウンドを1時間52分で回り、スコアはベイヤー72、フリックは74だった。
【ep.7】ほぼ悲劇的だったが

体を正面に向けて打つ「サイドサドルパッティングスタイル」の第一人者
1952年の最終日。サム・スニードは3日目まで214で2位のジャック・バークJrに7打差つけていた。12番で構えた時点では優勝確実とされていたが、ティーショットをクリークに入れてしまい、打ち直しをミスしてグリーン下方の窪みに入れてしまいピンチ。難しいショットを上手く打ち4オンとした。最終日、バークJrは69でサムに迫ったが、結果は4打差でサムが優勝を果たした。
【ep.8】パットンの独り占め
1954年アマチュアのビリー・ジョー・パットンが出場したが、初日70、2日目74、3日目71、そして最終日は71。優勝はサム・スニードとベン・ホーガンのプレーオフでスニードの勝利だった。パットンは1打差の3位。その結果
①ベストアマチュアスコアでゴールド&シルバーカップ獲得
②ベストアマチュアでゴールドメダル獲得
③初日の最少スコア賞
④ホールインワン賞
⑤ドライビングコンテスト優勝
と、5つの賞を手に入れた。
【ep.9】長距離パット

87年全英オープンにて
1989年の3日目、2番でニック・ファルドはグリーンを大きく外したが、グリーの右側後部から左の角まで100フィートをパターで打ち沈めてバーディに。1955年の2日目キャリー・ミドルコフは13番で75ヤードを沈めイーグル。
【ep.10】心が折れそう

バイロン・ネルソン、フィニッシュの写真
1957年バイロン・ネルソンは16番のティーショットを池に入れてしまった。7番アイアンで打ち直したが、ボールはピンに当たり跳ね返ると転がって池に。ネルソンは今までの人生でピンに当たって池に入るなんてこんなことは初めてだと嘆いた。1972年初日、ディフェンディングチャンプのチャールズ・クーディは6番でホールインワン、だが次の7番をトリプルボギーにしてしまった。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中