第125回全米オープンの舞台は大会史上最多10回目の開催となったペンシルバニア州ピッツバーグ郊外のオークモントCC。史上最難関と呼ばれるコースで3日目を終えアンダーパーは4人だけ。かつてこのコースで記録的勝利を収めた2人のレジェンド、ジャック・ニクラスとジョーニー・ミラーが勝つための秘訣を語った。
画像: 左:1962年全米オープンでボールの行方を見守るジャック・ニクラス(PHOTO/Getty Images)。右:1973年全米オープントロフィーを掲げるジョニー・ミラー(PHOTO/弊社写真部)

左:1962年全米オープンでボールの行方を見守るジャック・ニクラス(PHOTO/Getty Images)。右:1973年全米オープントロフィーを掲げるジョニー・ミラー(PHOTO/弊社写真部)

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過去10回おこなわれたオークモントCCの全米オープンをアンダーパーで終えたのは27人だけ。27人のなかのひとりニクラスは1962年通算1アンダーで並んだアーノルド・パーマーとの18ホールのプレーオフを制して全米オープン初優勝を飾っている。

当時ニクラスはプロになったばかりの若者。キングことパーマーはすでに国民的大スターで同年のマスターズで3度目のグリーンジャケットを獲得したばかり。

プレーオフではクルーカットで太めのニクラスは完全にヒール役だった。「ファット・ジャック(太っちょジャック)」と呼ばれギャラリーはほぼ全員パーマーの応援に回りニクラスはアウェイの状況に立たされた。

しかし彼は自分がアウェイで戦っていることに気づいていなかった。

「ギャラリーの声はほとんど耳に入らなかった。当時の私は22歳の若造で誰にも応援されていないのはわかっていた。ただコースに出て自分のゴルフをするだけだった」

優勝するための秘訣をニクラスはためらうことなくこういった。

「少し前にロッカールームで選手たちと話をしたんだ。彼らはこのコースをどう思うかと聞いてきた。私はまぁ、ここではパッティングが鍵になることは明らかだと答えたよ」

「(62年に優勝したとき)90ホール(本戦プラスプレーオフ)で3パットしたのは1回だけだった。55ホール目で3パットしたのを覚えている。いまでもそのパットが悔しくて仕方ない」と御大は振り返った。

73年の最終日にミラーはいまでも語り継がれるオークモントでの史上最少ストローク63をマークし大逆転優勝を飾っている。

卓越したボールストライカーだったミラーはすべてのホールでパーオンに成功。「上りのパットを残すことだけを考えて」完璧なゴルフを完結させた。

余談だがニクラスが62年に優勝したときの獲得賞金は1万7500ドル。73年にミラーは3万ドルだった。今年の優勝賞金は430万ドル(約6億2千万円)。金額だけ見れば隔世の感がある。

しかし1打に賭ける情熱は当時もいまも変わらない。

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