
「ロピアフジサンケイクラシック」で初優勝を飾った長野泰雅(撮影/姉崎正)
「最後は手が震えていた」

震える手を抑えてウイニングパットを沈めた(撮影/姉崎正)
長野は最後まで攻める気持ちを忘なかった。最終18番もティーショットでドライバーを持った。結果は右のラフだったが、第2打をピン右10メートルに乗せた。ウイニングパットはカップの上1メートル。重圧がかかる中、このパットをしっかり沈めた。
「優勝してなんか疲れが取れたですね。最後は手が震えていたんですけど、実際に素振りをして構えたら全然手が動いてくれたので、すんなりと打てました」
この日は3人が並ぶ首位からスタートし、いきなり3、4番で連続ボギー。悪い流れがきたが、あわてずに8番パー5で2オンに成功して2パットでバーディを奪った。後半も13番パー3で190ヤードを7Iで1メートルにつけ、600ヤードの14番パー5も残り260ヤードの第2打をユーティティで2オンさせて連続バーディ。首位をとらえると、16番で第1打を4メートルにつけて単独トップに立った。
「(杉浦が)9(アンダー)でフィニッシュしたときは自分が8だったので、とりあえず9まで伸ばしたいと思っていました。ロング(パー5)でバーディを取れたので、あと4ホールでどっか取りたいなと。プレーオフは正直いきたくなかったので、残り4ホールのところから頑張りました」
名前の由来は「タイガー・ウッズ」

名前の由来は「タイガー・ウッズ」。世界への一歩を踏み出す(撮影/姉崎正)
これまでも初優勝のチャンスはあったが、つかみきれなかった。2023年「プレーヤーズチャンピオンシップ・サトウ食品」ではプレーオフに進出したものの谷原秀人に敗れている。
「(今日も)2年前のプレーヤーズ選手権の記憶が残っていて、あのときの後悔はめっちゃ緊張していたことなんです。だから今回はキャディとふざけながら、緊張しているとあえて口に出したりして(緊張を)紛らわせました」
2003年5月6日、福岡県篠栗町出身。トップアマの父・清一さんの影響で9歳からゴルフを始めた。福岡県・沖学園高1年のときに国体個人、団体優勝。3年時にプロ転向した。「泰雅」という名前の由来は元世界ランク1位の「レジェンド」タイガー・ウッズで、世界を代表する選手になるようにとの願いが込められているという。
この優勝で抱いていた目標も現実的になってきた。
「直近の目標は日本オープンに勝ってマスターズにいくことです。ゆくゆくは海外に行きたいんですけど、一番近い道はそれなんで。とりあえず日本オープンで優勝したいっていうのが強いですね」
「和製タイガー」が自分の手で飛躍のチャンスをつかみ取り、世界への階段を駆け上がる。