ツアー解説でおなじみの佐藤信人プロ。今回は、PGAツアー初優勝を飾ったキャメロン・ヤングについて語ってもらった。
画像: 「技術面、精神面のコーチは父。手取り足取り教えたのではなく、若い頃は練習用のグリップを装着させて球を打たせただけとか。ここはシェフラーに通じるものがあり、〝独特〞とは強いことではないかと最近思います」(佐藤プロ)

「技術面、精神面のコーチは父。手取り足取り教えたのではなく、若い頃は練習用のグリップを装着させて球を打たせただけとか。ここはシェフラーに通じるものがあり、〝独特〞とは強いことではないかと最近思います」(佐藤プロ)

8月第1週のウィンダム選手権で、PGAツアー初優勝を飾ったキャメロン・ヤング。すぐに優勝するだろうと思われていた選手ですが、PGAツアーに昇格した21-22シーズンから初優勝まで94試合、実に4年もかかりました。 

ニューヨーク州はスカボロー生まれの28歳。同地には常に世界のトップ100コースに選ばれるスリーピーホローCCがあり、父のデビッドさんはその名門コースのヘッドプロを20年以上務め、母のバーバラさんはかつてLPGAを目指し、また叔母もティーチングプロというゴルフ一家に育ちます。 

そうした環境のなか、4歳でゴルフを始め、たちまちトップジュニアに。14年にはジュニアライダーカップのメンバーに選ばれ、ノースカロライナにあるウェークフォレスト大に進みます。17、18年にはプロの試合でも優勝。そのひとつ、17年のニューヨーク州オープンは最終日に64を叩き出し、ベスページステートパーク・ブラックCのコースレコードタイをマークします。この記録は、19年の全米プロの初日、優勝したブルックス・ケプカの63によって塗り替えられました。 

プロ転向は19年。アマチュア時代、数多くの成績を残したヤングでしたが、下部のコーンフェリーやPGAラテンアメリカの予選会に失敗。20年にPGAカナダの予選会をトップ通過するも、コロナ禍で全日程が中止、延期となる不幸が。それでも実力者だけに、その年の下部ツアーでの活躍によりPGAに昇格しました。 

ルーキーイヤーとなった21-22シーズンの初戦、フォーティネット選手権は予選落ちするも、2戦目のサンダーソンファームズ選手権では2位タイ。このシーズン、2位は全英オープンを含む5試合、3位は全米プロを含む2試合と驚異的な成績を残します。それが大きな期待と年を追うごとにハードルの高さとなって、初優勝まで時間のかかった原因となった可能性も。ちなみにこれまで2位は7試合あります。 

ヤングに対するイメージは、若いけれど寡黙な職人というもの。基本、言葉は少なく静かな感じです。初優勝のシーンでも同伴者やキャディ、ボランティアのスコアラーと静かに握手し〝いつもどおり〞かと思っていましたが、優勝インタビューでは目頭を赤くし声を詰まらせる場面もあり、少し意外な感じがしました。この初優勝は大学のあるノースカロライナで、PGAツアー1000人目の優勝者というおまけまで付きました。また、ウェアの右襟にあるMLB(メジャーリーグベースボール)のロゴ。コミッショナーのロブ・マンフレッドがスリーピーホローのメンバーだった縁からのサポートだそうです。 

さてキーガン・ブラッドリーのキャプテンピックにより、キャメロン・ヤングはライダーカップのメンバーに選ばれました。今回の会場は生まれ育ったニューヨークの、前出のべスページ・ブラックC。かつてコースレコードをマークした相性と、地元の声援を受けて大きな仕事をするのでは? と期待されます。

撮影/岩本芳弘

※週刊ゴルフダイジェスト2025年9月30日号「さとうの目」より

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