
運転好き。小説も好きで、電車通学中にシャーロック・ホームズや江戸川乱歩などの探偵小説を読んでいた。啓発本の類いは読まないが、「中3のときいただいた『インナーゴルフ』、面白い視点だし、自分のゴルフや私生活にも生かせるところがあるから好きです」
稲垣那奈子は周りの人によく、「緊張しそうにないタイプだ」と言われるそうだ。
「初優勝のときも、『なんであんな冷静にできるの』と言われたんですけど、家に帰って自分のプレーを見たら、18番なんか自分じゃないみたいに緊張していました。結構目が泳いでいるし(笑)」
それでも、チャンスは逃さなかった。
2回目のプロテストで、合格ギリギリで滑り込んだときも、緊張は同じくらいしていたという。
「ドキドキするのが嫌で、どうしたらいいかなと思っていたら、最後のハーフで、下腹部に力を入れると緊張のドキドキが収まるということを見つけたんです。腹式呼吸、長く息を吐いて、お腹にグッと力を入れるようにするといいと言いますよね。今もちょっとしびれる状況で使います。緊張しない方法を一番緊張する場面で見つけたのは大きいですよね」と、まるで自分を研究対象のように語る。
「プロテストのときは伸ばすしかない状況で。でも途中、自分の位置がわからないのがよかった。初優勝のときも、リーダーズボードが少なかったので、よかったです」
ピンチをチャンスに変えられる人のことを、“もっている”と言う。
自分のことは自分でわかっていたい
稲垣那奈子は、ひとりっ子だ。そして両親がスポーツ大好きとなれば、生まれてからずっと傍らにスポーツがあったことは想像できる。2、3歳の頃にはもうクラブを握り、スキー板を履いていた。幼少期は基礎体力をつけるため器械体操や水泳もしていた。一方、幼稚園、小中学校時代は日本女子大学の附属校に通う。勉強もしっかり学ぶ環境にあったのだ。
「家族で楽しめればいいね」というきっかけで両親から与えられた稲垣のゴルフに変化があったのは10歳頃。初めて試合に出てからだ。
「すごく上手い子たちと回り、もっとゴルフを頑張りたいと思ったんです。するとケガが怖いのでスキーは自然にしなくなりました」
大学までエスカレーターで行けるレールは敷かれていた。しかしゴルフと出合い、いそしみ、中学時代には実力が伸びて「プロ」の二文字が見えるようになる。それなのに中学、高校にゴルフ部はなかった。だから、思い切って同じコースで練習していた幼馴染の山口すず夏と、ゴルフ部のある共立女子第二高校に行くことにした。
「レールに乗っていけば、大学まで行けますから、両親も勇気が必要だったとは思います。でもゴルフが楽しかったんです」
稲垣の真剣さに協力する形で、ここから先は母が学校の近くに一緒に住み、“帯同”生活が始まった。高校時代、部活動自体は週1、2回。しかし、毎朝6時から始業時間まで、山口すず夏と自主的に「朝練」をしていたという。
「私の母とすず夏のお父さんにそれぞれ毎朝送り迎えしてもらって。大きなトラックを何周もガンガン走り、学校の古い施設でトレーニングしていました。それが今につながっていると思います。それに、小さい頃からアメリカの大会に出たりしているすず夏をずっと目標にして追っかけていたんです」
実力はまた、メキメキと伸びた。