「週刊ゴルフダイジェスト」や「みんなのゴルフダイジェスト」で障害者ゴルフの取材記事を執筆してきたベテラン編集者が、日本だけでなく世界にアンテナを巡らせ、障害者ゴルフのさまざまな情報を紹介する連載。今回は今年の「G4Dオープン」を終え、欧州障害者ゴルフ協会(EDGA)の敏腕記者、ベン・エヴァンス氏からの寄稿記事を紹介します。

日本がウェールズにやってきた 

2026年のG4Dオープンを、これまで開催されたなかで最もインクルーシブなゴルフイベントの1つにするため、多くのパートナーたちが一生懸命働きました。

R&AがDPワールドツアーと提携し、EDGAのサポートを受けて開催したこの選手権は、5月(14日〜16日)にウェールズのセルティックマナー・リゾートに25カ国から選手を迎え入れました。

画像: 今年も、参加25カ国の国旗と歴代チャンピオンたちの看板が、美しいコースに映えていました

今年も、参加25カ国の国旗と歴代チャンピオンたちの看板が、美しいコースに映えていました

ウォバーン(イングランド)での最初の3年間を経て、ウェールズでの新たな始まりでした。2010年のライダーカップの開催地であるこの場所は人気を集めることが常に予想されてきましたし、5大陸から集まったG4D(障害者ゴルフ)の選手たちは、男女の総合トロフィーだけでなく、Standing(手や足の身体障害)、Intellectual(知的障害), Visual(視覚障害)、Sitting(車椅子)という認定された障害のグループ、9つのスポーツクラスでも競い合いました。

G4Dに関するあらゆる事柄への認知度を高めたいという願いを込めたこのイベントのインクルーシブな性質を考えると、セルティックマナーのローマン・ロード・コースで競い合った3人の日本人選手が全員、ゴルフの身体的および健康上の利点を他者に教育する専門家である“プロのコーチ”であったことは、おそらくふさわしいことだったと言えるでしょう。3人の日本人選手、3人の日本人コーチが、このときウェールズにいたのです。

近年、障害者ゴルフの裾野を広げるために3人が世界中を旅する労を惜しまなかったことは、彼らの人柄の証明でもあります。小山田雅人選手と吉田隼人選手はG4Dオープンへの出場がそれぞれ3回目であり、小林茂選手にとっては2回目でした(過去の大会には秋山卓哉選手と大村実法選手が出場しており、伊藤寿選手は秋山選手と同様にウェールズ大会の出場権を獲得していましたが、今回は辞退しなければなりませんでした)。

ウェールズでの彼らの世界を股にかける目標には、日本障害者ゴルフ協会(JDGA)の代表として来た石塚義将氏と『週刊ゴルフダイジェスト』誌のジャーナリスト・吉竹鎮代氏も加わりました。両氏とも、国際的なスケジュールのユニークな1週間に立ち会いました。この週には、EDGAがR&AとDPワールドツアーのために企画した、20の国際組織の代表者向けの2日間にわたる詳細なカンファレンスも開催されたのです。そして彼らは、EDGAとR&Aそれぞれの役員と会談する機会を設け、G4Dの世界で起きている最新動向を完全に把握するよう努めました。

画像: 素晴らしい英語で通訳をサポートしてくれた日本障害者ゴルフ協会専務理事の石塚義将氏(右)とR&Aのケビン・バーカー氏

素晴らしい英語で通訳をサポートしてくれた日本障害者ゴルフ協会専務理事の石塚義将氏(右)とR&Aのケビン・バーカー氏

JDGAは、松田治子氏のリーダーシップのもと、日本のG4Dプレーヤーのための国内ツアーを構築するための焦点として、国際大会を活用してきました。そしてこれが、競技への意欲を持つ新しい選手たちに刺激を与え、現在G4Dにはもっと広く利用できる機会があると理解することを促しています。過去4年間、JDGAは毎年3〜4名の選手をG4Dオープンに派遣しています。

EDGAの会長であるトニー・ベネット教授は次のように述べています。

「私は数年前に初めてJDGAを知りましたが、ハルコ(松田氏)とヨシ(石塚氏)が意思決定に深く関わるようになってから、大きく変化したことに気づいています。日本のより多くの人々にとってG4Dをよりアクセスしやすいものにした両氏を称賛します」

選手たちの豊かな多様性

G4Dオープン選手権そのものに関しては、ティーオフした多くのヨーロッパ選手や日本の3選手だけでなく、アイスランド、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドから、カメルーン、韓国に至るまで、さまざまな国々のつながりによって大会はさらに盛り上がりました。

後者の3カ国のうち、ニュージーランドのネーピア出身であるガイ・ハリソンは、R&Aゴルフクラブの奨学生(スカラー)です。これはゴルフの未来を形作る情熱と可能性を秘めた世界中の若者を支援する制度なのです。前述のカンファレンスでガイは、わずか3歳のときに10分間臨床死状態に陥るという人生を変える発作が起きてから、5歳でゴルフに出合い、ゴルフが自分にとってどれほど重要なものであったかを心から語りました。

イッサ・ンラレブ・A・アマンはカメルーン唯一の代表でしたが、彼のインパクトは絶大でした。両足切断でもダイナミックな動きを持ち、最終ラウンドの17番では素晴らしいチップインを決め、ウージョンヒルズ・カントリークラブのサイモン・リーに最後は1打差で敗れたものの、男子総合で2位に入りました。自閉症を抱える28歳の韓国人サイモンは、最後のパットが沈むまでプレッシャーに対処し、感情をコントロールすることができました。

サイモンはイベント後、手のひらサイズのデジタル翻訳機を使ってメディアや主催者と英語で会話し、これが彼に自信を与えているのだとわかりました。一方、観戦していた観客もサイモンから多くを学び、彼はウェールズで非常に人気のある優勝者となりました。

テクノロジーと対話への意欲

吉田隼人も過去3年間のEDGAトーナメントにおいて、よく似たデジタル機器を使用することで英語の難しさをやわらげ、ヨーロッパで数々のイベントに遠征する“同胞”の一員として、いろいろな国から来た選手たちと頑張って会話してきました。

24歳のときにバイク事故で右脚をひざ上から失った後、隼人は30歳でゴルフを始めました。彼の成長は目覚ましく、名門ゴルフクラブで働きながら、2022年に日本プロゴルフ協会(JPGA)のティーチングプロ資格を取得しました。現在42歳の隼人は、ポルトガル、イギリス、イタリア、フィンランドでプレーし、後者の2カ国では優勝を果たしています。しかし、ヨーロッパやそれ以外の地域の選手たちから彼が愛されている理由は、コミュニケーションを取り、インクルーシブなメッセージを広めようとする彼の意欲にあります。

一方、58歳の小山田雅人は、幼い頃に右手を失い、38歳で脳腫瘍を克服した後に自らもプロのゴルフコーチとなりました。彼は常に集中してプレーしながらも、他者への親切で優雅な振る舞いを忘れることなく、母国の先駆者であり続けています。雅人は言います。

「ゴルフでは、障害のある人も健常者も互いに競い合うことができます。ゴルフをプレーすることで、私は障害と病気の両方を乗り越えられたと信じています」

70歳の小林茂は、今でもゲームに対する止まない情熱を持ち「陽気なレンジラット(練習の虫)」と呼ばれています。これはセルティックマナーでも大いに証明され、コース攻略法においても、彼は熱意と落ち着きを兼ね備え、常に礼儀正しく笑顔を絶やしませんでした。もともと棒高跳びの選手であった茂は、15歳のときに人生を変えるような怪我に直面しました。彼は指導にキャリアを捧げてきました。プロやエリートアスリートの育成に焦点を当てるのではなく、主に初心者や中級ゴルファーの指導に携わっています。

画像: 日本選手3人。精いっぱいプレーすると同時に、多様な選手たちと楽しく交流し、日本の障害者ゴルフの存在感を高めているのです

日本選手3人。精いっぱいプレーすると同時に、多様な選手たちと楽しく交流し、日本の障害者ゴルフの存在感を高めているのです


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