激戦地・硫黄島に存在したゴルフ場――戦後米軍が造った娯楽の跡
亜熱帯海洋性気候に属し、父島からも約280km離れたこの島は地殻変動が極めて活発で、過去100年間で約15m隆起し、現在も年間15〜20cmのペースで隆起が続いているとされる。
かつての激戦地であり、今なお遺骨収集作業が続けられ、地中には多くの不発弾が残り、火山活動も盛んな島だ。それゆえ、一般人がこの島に立ち入ることはできない。
戦後はアメリカの施政権下に置かれ米軍が駐留していたが、1968年6月に日本へ返還された。つまり、米軍統治下にあった1945年から1968年までの間に、駐留兵士たちの娯楽施設としてゴルフ場が整備されたと考えられる。日本国内に限らず、米軍が駐留する地には必ずといっていいほど娯楽施設としてゴルフ場が建設される。首都圏で言えば、陸軍のキャンプ座間(18H / 6206Y / P72)、海軍の厚木航空基地内(18H / 6035Y / P71)、空軍の多摩ヒルズ(18H / 6608Y / P72)などが挙げられる。

飛行場の近くにショートコースらしいものがある硫黄島(2010年撮影、写真/Getty Images)
このほか本格的な18ホールのコースだけでなく、基地の一角に数ホール規模のショートコースが造られることも多かった。
映画『あしやからの飛行』(1964年公開、マイケル・アンダーソン監督、ユル・ブリンナー主演)は、福岡県の米軍芦屋基地(現・航空自衛隊芦屋基地)を舞台として日本で撮影されたが、当時の芦屋基地にも9ホールのゴルフ場が存在していた。かつてここでマネジャー兼ハウスプロとして勤務していたのが、私の友人であるカーター・スミス氏だ。彼は帰国後にジョージア州フォートゴードン陸軍基地のゴルフ場マネジャーを務めた後、米海軍厚木基地のマネジャーとして再び日本へ赴任してきた。芦屋基地のゴルフ場には、1961年の日本オープンを制した下関GC所属の細石憲二プロや、トップアマの中部銀次郎さんらも頻繁にプレーに訪れていたという。
大航海時代以降、世界の海を制したイギリスは世界各地に貿易商社とともにゴルフ場を建設した。遠く離れた故郷に思いを馳せながらプレーを楽しんだのだろう。日本初のゴルフ場である神戸ゴルフ倶楽部も、英国人貿易商アーサー・ヘスケス・グルームの発案によって六甲山上に作られたものだ。
さて、話を硫黄島のゴルフ場に戻すと、実のところ詳細な資料や情報はほとんど残っていない。だが、娯楽の少ない太平洋の孤島、かつ火山島という環境下において、兵士たちが余暇を過ごすためにティーイングエリアとグリーンを設けたショートコースを造ったことは容易に推測できる。
文・写真/吉川丈雄(特別編集委員)
1970年代からアジア、欧州、北米などのコースを取材。チョイス誌編集長も務めたコースやゴルフの歴史のスペシャリスト。現在、日本ゴルフコース設計者協会名誉協力会員としても活動中。




