18年前と同じように、2019年の今日もギャラリーを魅了した
いまから18年前の2001年、太平洋クラブ御殿場コースでワールドカップが開催された。タイガーは前年の全米オープンからその年のマスターズまでメジャー4連勝を飾り“タイガースラム”を達成していた。
錦秋の御殿場には当時不仲が囁かれたデビッド・デュバルとのコンビで参戦。72ホール目の18番、タイガーは絶体絶命のピンチを迎えた。グリーン右の窪地からショートサイドのピンを狙うにはワンクッションで攻めても寄せるのは至難の技。そこでイーグルを奪わなければプレーオフ進出は叶わない。
タイガーはその難しい第3打をカップにねじ込んで見せたのだ。南ア、デンマーク、ニュージランドとともにプレーオフを戦った結果はアーニー・エルス&レティーフ・グーセンの南アに敗れたが、彼が72ホール目で見せたチップインイーグルは長らく語り継がれることになる。
ギャラリーを魅了したタイガーだが、じつは本人も会場を埋め尽くしたギャラリーに魅了されていた。
「あのときの光景は忘れられない。日本のファンの情熱、そしてゴルフの知識。こんなに熱心なギャラリーがいるんだ、と感銘を受けたもの」(タイガー)
スケジュールが合わずZOZOチャンピオンシップが日本での13年ぶりの競技出場となった。「2カ月前にヒザの手術を受け実戦から遠ざかっていたから、どんな結果になるかまったくわからなかった。(完全優勝には)自分でも驚いている」。初日の3連続ボギーから9バーディのバウンスバックを皮切りに、まるでひとりだけ違うコースを回っているような快調なプレー。「長い戦いだったしいろいろな意味でストレスが大きかった」といいながら終わってみれば圧勝だった。
「タイガーを引っ張り出すのが難しかったか? いえ、そんなことはありません。01年の強烈な印象が彼を再び日本へと導いた。率先して出場を決めてくれましたよ」というのはPGAツアーのジェイ・モナハン会長だ。
大会前からナイキでのトークショーや女子ゴルフ部のクリニック、スキンズマッチ、ジュニアレッスンに前夜祭での鏡開き(!?)などなど。若手なら絶対にイヤがるような過密スケジュールを笑顔でこなすタイガーからは戦闘モードは垣間見えなかった。まるでソーシャルなおつきあいをしにきたようだったのに…。
だが蓋を開けてみたら凄かった。全盛期を思わせる正確なショットと絶妙なパッティング。やはり彼は唯一無二のスーパースターだ。01年に彼の胸に撒かれた種が静かに芽を出し、葉を茂らせ、そして今回最高のタイミングで芳醇な果実を実らせた。歴史は繋がっている。