昨年4月に、筑波大学社会人大学院の‟女子大生”になった週刊ゴルフダイジェスト編集部Y。「リハビリテーションとは何か?」を問いながら学んでいる。今回は、先日行われた男子ツアー、ASO飯塚チャレンジドゴルフトーナメントに関してのお話です。

私が大学院で研究しようと考えていたテーマは当初、「片麻痺障害者の心身のリハビリテーションにおけるゴルフ競技の有用性」であった。

母が脳卒中による片麻痺障害を得て長年生活しており、そのなかでスポーツの有用性を感じ、また、取材で出会った片麻痺ゴルファーの方々を見て、心身のリハビリテーションにゴルフが役立っていると感じていたからだ。

片麻痺障害者の方々は、突然変わってしまった自身の身体と人生に向き合いながら、想像を絶するリハビリに挑んでいる。

自身のリハビリへの学びとともに始まったプロゴルフトーナメント

さて、私が大学院に向けて準備している頃、日本の男子ツアーで新規トーナメントが開催されることを知った。「ASO飯塚チャレンジド ゴルフトーナメント」である。主催者の麻生グループは障害者スポーツに理解が深く、長年、車いすテニスやゴールボールを支援してきた。

また、医療・看護教育や特別支援教育にも携わっている。グループの150周年事業の一環としてゴルフトーナメントを行うとのこと。実は、福岡県筑豊地区は私の地元でもある。

自分がリハビリテーションや障害者スポーツを研究するため大学院に通い始めたタイミングでの、故郷での新規トーナメント開催に‟ご縁”を感じざるを得なかった。

大会名にある「チャレンジド」は「the challenged」に由来、「挑戦するチャンスや使命を神様から与えられた人」と障害者をポジティブにとらえた言葉だ。

今大会のプロアマ戦には、日本障害者ゴルフ協会のゴルファーたちが招かれ、プロとラウンドするという。絶対取材に行こうと決めた。

ゴルフは多様な属性やニーズを前提とするインクルーシブなスポーツ

そして昨年6月、障害者ゴルファー20人とプロゴルファー10人が顔を合わせた。障害者ゴルファーたちは皆、とても嬉しそうで、プロたちから多くのことを学んだと、競技ゴルファーの向上心むき出しであった。

それをひしひしと感じたプロたちも、「技術が高くてびっくり。僕たちのほうが勉強させてもらいました」と口にした。

ラウンド後のインタビューで、比嘉一貴は心から感心した様子で、「右手1本で240ヤード飛ばす姿に衝撃を受けましたし、僕に対しての質問が戦略など競技者としてものもばかりで、向上心もあってすごくポジティブで本当に楽しそうにゴルフをしていました。その気持ちを、僕らもいつまでも忘れてはいけないと思いました」と語った。

この時点で、研究では、対象を障害者ゴルファー全体に広げ、競技に参加する意義や目的を聞くことで、継続要因や促進要因、課題などがわかるのではないかと考え始めた。

ハンディキャップ制度があり、老若男女が一緒に楽しめる生涯スポーツ「ゴルフ」は、インクルーシブなスポーツであり、障害者と健常者の壁を取り除くことができるはずだ。

賞金王となった比嘉一貴に、昨年末、再び障害者ゴルファーについて聞くと、「数あるプロスポーツのなかで、ゴルフは、50代と10代の選手が同じフィールドで戦っている、特殊なスポーツだなと思います。それがゴルフの1つのいい面だと思いますし、そういうことも含めたら、いずれ障害を持っている選手がツアーに出て活躍できることもあると思うし、誰にでもそういうチャンスがあるんじゃないかなと思います」

そして先日、2回目の「ASO飯塚チャレンジド ゴルフトーナメント」が行われた。昨年同様のプロアマ戦はもちろん、今年は義足のプロ、吉田隼人が、大会に出場することになった。日本で初めて、障害者がプロツアーの舞台に立った。

画像: 第2回 ASO飯塚チャレンジド ゴルフトーナメントにプロゴルファーとして出場した義足のプロ、吉田隼人

第2回 ASO飯塚チャレンジド ゴルフトーナメントにプロゴルファーとして出場した義足のプロ、吉田隼人

私はメディアに注目され取材される吉田の誇らしげな姿が本当に嬉しく、この試合に向けての彼の努力(障害を得てからの努力も含めて…)を考え、ひとりのプロゴルファーの成長を心のなかで讃えた。

健常者も障害者も同じ舞台で戦う
それができるのがゴルフ

画像: 「(大会名のチャレンジドの意図→)何事にも挑戦する人」はプロアマ共通。大会前のプロアマ戦、河本力とプレーした陸上パラリンピストの小須田潤太選手(写真・右)

「(大会名のチャレンジドの意図→)何事にも挑戦する人」はプロアマ共通。大会前のプロアマ戦、河本力とプレーした陸上パラリンピストの小須田潤太選手(写真・右)

試合は地元福岡出身の時松隆光、清水大成と同組。初日は強い雨に見舞われ、本人が「個性」と自負する義足は、レインウェアに包まれたまま。しかし、傍らには仲間の力があった。

キャディを務めた有迫隆志さん(左上肢機能障害)はもちろん、ボランティア活動で居残りした仲間が皆、応援に駆けつけた。「勇姿を見たい。僕らが送りださないと」

2日目は快晴のなか、今度は暑さとの戦いとなった。

「ナイスバーディ!」。吉田のナイスプレーに誰よりも大きく声援を送っていたのは息子の応援に来ていた時松隆光の父、慊蔵さんだ。吉田のプレーは、見るものに何かを与えてくる。

吉田隼人の2日間のスコアは86・82。目標としていた予選通過には遠く及ばず、悔いの残る結果となった。この結果を「この天候、状況でよくやった」と言う人も多いかもしれない。しかし、吉田は「やっぱり、悔しいです……」と声を詰まらせた。

吉田にとっても、仲間にとっても、舞台は健常者と同じだ。これこそがゴルフの持つチカラで、ゴルフ競技に参加することで引き出されるものがあるのだと思う。

試合後の会見。吉田は、どのプロより長く、どのプロより熱く、試合に参加しての感謝と自身が得たもの、ゴルフや障害者ゴルフについての想いを語った。

「そもそもボクが障害を得てゴルフを選んだ理由はリハビリにすごくいいから。自分の体をどう動かしたらどうなるかという部分を突き詰めていくのがリハビリになる。何より上達するのが楽しいんです」

そして障害者ゴルフの現状──世界各国の状況、カート乗り入れやカテゴリー分けの難しさなども説明し、自身の最大目標を「世界障害者ゴルフランキング(WR4GD)で1位になることです」ときっぱり言った。

画像: 大会を制した中島啓太と吉田隼人。プロアマ戦で障害者ゴルファーと回った中島は、「今日のゴルフをいいスコアで上がろうという意欲や、あと〇ヤード飛ばしたい、と言っていたので、すごく楽しかったです」

大会を制した中島啓太と吉田隼人。プロアマ戦で障害者ゴルファーと回った中島は、「今日のゴルフをいいスコアで上がろうという意欲や、あと〇ヤード飛ばしたい、と言っていたので、すごく楽しかったです」

リハビリテーションは、今の自分を超えようとする想いの上に成り立つ。私は、編集者としての仕事はもちろん、研究に取り組むことで、障害者ゴルフの普及や発展に少しでも役立ちたい、そして、「ゴルフ」の魅力をより多くの人に伝えていきたいと、改めて強く思った。

PHOTO/Yasuo Masuda、Shinji Osawa

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