1960年に実業家のマーク・マコーマックとIMGを創設したアーノルド・パーマー。翌年、4色のカラフルな傘のマークを考案し、「アーノルド・パーマー」ブランドを確立した。
画像: 写真右は週刊ゴルフダイジェストの前身、別冊ゴルフダイジェスト1967年6月号に掲載された東洋レーヨン(現在の東レ)の広告

写真右は週刊ゴルフダイジェストの前身、別冊ゴルフダイジェスト1967年6月号に掲載された東洋レーヨン(現在の東レ)の広告

世代を超えて愛されるブランド

「カサ・マークは王者のマーク」というキャッチコピーで東洋レーヨンが「アーノルド・パーマー」ブランドを売り出したのは1965年。マスターズでアーノルド・パーマーが4度目のグリーンジャケットに袖を通した翌年だった。

「アメリカにおける驚異的な売れ行き。それとアーノルド・パーマーはプロゴルファーというよりもアメリカ国民の偶像的存在。それに"カサ・マークは王者のマーク"のイメージが繊維業界における東洋レーヨンのイメージにぴったり」「パーマー自身がデザインし、カラーの選択までやるという商品の企画性が抜群によかった」(当時の東洋レーヨン関係者)と、年間3万ドルといわれる莫大な金額を払って契約に至ったという。

発売初年度にはパーマー本人を日本に呼び、各地でデモンストレーションを行い、「パーマーも着ているゴルフウェア」という強烈なイメージを日本のゴルファーに与えた。また、帽子から靴下までの契約だったため、まだ関心の薄かったカラーコーディネートを取り入れたこともヒットの要因となり、1969年の春夏物は25万着も売れ、「東レの救世主となったアンブレラ・マーク」という記事が、当時の別冊ゴルフダイジェストに載るほどだった。この大ヒットの影響でロゴ入りウェアが大ブームとなる。そして、ゲーリー・プレーヤーの「黒ヒョウ」は帝人、ジャック・ニクラスの「ゴールデン・ベア」は旭化成と、国内の三大繊維メーカーが"ビッグスリー"と契約し、ロゴ入りウェアに参入した。

アーノルド・パーマーは1971年に東レからレナウンに契約が移る。そのレナウンは2020年に経営破綻。現在はアパレルメーカーの水甚が日本での「アーノルド・パーマー」ブランドのライセンスを取得。ブランド設立から、すでに60年余りだが、傘のマークのブランドは世代を超えて愛され続けている。

※週刊ゴルフダイジェスト2023年7月4日号「ニッポンゴルフ初物語」より

This article is a sponsored article by
''.