ツアー解説でおなじみの佐藤信人プロ。今回は35歳で覚醒したエリック・コールについて語ってくれた。
画像: 「エリック・コールのスタッツを見ると、飛距離は平均的ですが、パットとグリーン周りが秀でているのがわかります」by佐藤信人(写真/Getty Images)

「エリック・コールのスタッツを見ると、飛距離は平均的ですが、パットとグリーン周りが秀でているのがわかります」by佐藤信人(写真/Getty Images)

早熟な両親とは違い、遅咲きなエリック・コール

今回、紹介するのは6月に35歳になったルーキーのエリック・コールです。2月のホンダクラシックで、プレーオフの末にクリス・カークに敗れ初勝利とはなりませんでしたが、メキシコオープンで5位、カナディアンオープンで6位、ツアー選手権、全米プロ、全米オープンでも予選通過を果たし、フェデックスランクは現在41位(7月15日現在)。

昨年まで、いや今年もコーンフェリーツアーを戦い、それどころか後述するミニツアーを戦っていた選手が、シード権はおろか昇格試合への出場権を得られる50位以内、ツアーチャンピオンシップに出られる30位以内という高い目標も視野に入ってきました。

日本のゴルフファンには、あのローラ・ボーの息子、といったら懐かしく思う方もおられるでしょう。71年、16歳で当時の最年少記録で全米女子アマを制し、73年にプロ転向。当時は18歳以上でないとLPGAの試合に出られなかったため、72年は日本ツアーで戦い、日本で人気を博しました。

70年生まれのボクは、リアルタイムではその状況を知りませんが、何度もその伝説とも言えるファンの熱狂ぶりを聞かされたものです。

一方、父は南アフリカ出身のボビー・コール。彼もまた66年、当時史上最年少の18歳で全英アマを制しています。その後、南アのサンシャインツアーで8勝、PGAでも1勝をマーク。74年のワールドカップでは個人優勝と団体2位に輝きました。ちなみにこの大会で日本代表として戦ったのが青木功さんとジャンボ(尾崎)さんです。

エリック・コールは、早熟の両親とは違い、何とも遅咲きの選手です。大学はディビジョン2のノバ・サウスイースタン大で、このとき1型の糖尿病を患い、また難病のアジソン病にも襲われます。

今でも細いのですが、一時期体重は50㎏を切り、プロゴルファーどころか生死の淵すらさまよったようです。その後、なんとか病気を克服して09年にプロ転向。しかしQTになかなか通らず、MLG(マイナーリーグゴルフツアー)を転戦します。QTを初めて突破したのは16年。しかし翌18年は腰痛のため、コーンフェリーも8試合しか出場できませんでした。その間、ティーチングなどで糊口をしのぎ、19年に再びQTを突破、20─21年と22年の2シーズンをコーンフェリーで戦いました。今シーズンPGAを戦っているのは、最終戦でギリギリ3位に入ったため。そのわずかなチャンスを生かして這い上がってきました。

実は彼はホンダクラシックまでにMLGで56勝しています。出場できなかったマスターズの週には、やはりMLGに参戦し57勝目をマークしました。翌週のヘリテージも出場権がなかったため、ほぼシード確実ながらコーンフェリーに。ゴルフ好きというかハングリー精神が旺盛というか、エリックのゴルフ(人生)観を雄弁に物語るエピソードでしょう。

2度結婚し2度離婚した両親ですが、今は父がスウィングコーチで母がメンタルコーチとしてエリックを支えています。両親と昨年5月に28歳で亡くなった弟へのプレゼントはPGAでの初勝利です。

※週刊ゴルフダイジェスト2023年7月18日号「うの目 たかの目 さとうの目」より

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