「僕、中学校のとき、2限までしか行かせてもらえなかったんですよ」。それは祖父の利夫が掲げていた「圧倒的な練習量をこなすことがゴルフを上手くなるうえで必要不可欠だ」という信念のもと、毎朝行われる中学校の校庭での球打ちに加えて、秀憲に課したものだった。

決まっていたのは練習メニューと膨大な時間だけ

利夫の練習量への執念は時代が進むごとに増していった。「2限で切り上げて練習をするために中学1年の2学期の最初に転校していますからね」。最初に通っていた中学校では2限までしか通わないことが認められない。それならばそのために環境を変える必要があると考えた利夫は動き出した。

「まぁ義務教育なのでそんなこと当たり前なんですけどね(笑)。それでいつも早朝練習でお世話になっていた中学校に転校しました」

「ライバルがペンを握っている間にクラブを振れ」と利夫は考えた結果、秀憲がゴルフにより集中できる環境を整えたのだった。

これほどまでに強烈な練習量を欠かすことなくこなしてきたことで、秀憲がゴルフを取り組むうえで欠かせない土台を創り上げた。

この練習量に加えてもうひとつ特徴的だったことは、「練習で祖父から、これをしろ、みたいな具体的な指示はありませんでした」。決まっていたのは練習メニューと莫大な時間だけだった。

「これをしろ」という指示がなかったことが、秀憲のゴルフへの取り組み方に大きな影響を与えていた。「莫大な練習時間と指示がないなかで僕はサボるのではなく、どうやったらもっと上手くなるのか? と工夫することに時間を使いました」

画像: 莫大な練習時間の中で、自分で試行錯誤を繰り返し技術を創り上げた

莫大な練習時間の中で、自分で試行錯誤を繰り返し技術を創り上げた

伊澤塾での圧倒的な練習量と時間をこなしていくなかで見つけたゴルフの楽しさ。それは自分自身で工夫をして見つけ出していくことだった。それは競技としてプレーをしていたときも、指導者としてゴルフと向き合っている今も変わっていない部分だ。

自分に合った方法を見つけ、その数を増やしていく。この繰り返しで「自分だけの型」を創り上げていく楽しさを多くのゴルファーに伝えたいと思い指導にあたっている。

秀憲は「伊澤塾での練習量と時間の使い方が今の経験に繋がっている」と言う。伊澤塾の定番メニューも秀憲だけの2限後の放課後活動も秀憲にとってなくてはならないものだった。

【プロフィール】
伊澤秀憲(いざわひでのり)/1991年6月生まれ。神奈川県出身。叔父伊澤利光の父であり、祖父の利夫氏に2歳からゴルフの英才教育をうけながら、ジュニア時代は同世代の松山英樹、石川遼らとしのぎを削ってきた。YOUTUBEチャンネル「アンダーパーゴルフ倶楽部」にてショートゲームを中心とした動画を配信中!

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