500回以上掲載したが、週刊ゴルフダイジェスト3月11日号では今回、その中からとっておきの特選集をお届け。寒くてラウンドを控えているという人、コースが積雪クローズ中でウズウズしている人……文字でゴルフを堪能して。「みんゴル」では2回に分けてご紹介。【2回中1回目】
球聖ボビー・ジョーンズ
ボビー・ジョーンズ(1902~1971)
アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ生まれ。アマチュアながらプロをしのぐ腕前と称され、1930年、28歳のときに全英アマ、全英オープン、全米オープン、全米アマの4大タイトルを制覇し、競技引退。弁護士業の傍らマスターズトーナメントやその舞台であるオーガスタナショナルGCの設計に関わった。

ボビー・ジョーンズ
「最後のパットまで、ベストを尽くすことができない人を私はゴルファーとは認めな」(ボビー・ジョーンズ)
この言葉は何の含みも皮肉もなく、ストレートだ。この直截的物言いから、球聖がいかにこういう
人を軽蔑していたかわかるだろう。よくいますね、この手合いが。順調にいっている時は真剣そのものだが、大叩きしようものなら「遊び、遊び……」と。そしてけしからんことには、一生懸命にやっている同伴競技者にまで「遊びなのにどうしてそんなに真剣にやるの?」などと……。
ジョーンズは若くしてトーナメントゴルフから退いたが、それは故郷で仲間たちと“ゴルフ”をしたかったからだ。腕前には関係なく、最後までベストを尽くすこと。それが真のゴルファーだということを球聖は言いたかったのである。(解説:古川、以下同)
「人生での価値は、どれほどの財産を得たかではない。何人のゴルフ仲間を得たかである」(ジョーンズ)
ボビー・ジョーンズがなぜ球聖と言われるのか? もちろん初の年間グランドスラマーになるなど、戦績も燦然と史上に残るのだが、それ以上に生き方が高潔であったからではないだろうか。競技生活から引退し、故郷オーガスタで弁護士をしながら、当初は文字通りゴルフ仲間たちとのプレーを楽しむためのコースとして、オーガスタナショナルGCを設立。今はマスターズ会場として、メジャーの一角をなす舞台となっているが、当初は仲間たちを呼んでゴルフを楽しもうとしたものだった。マ
スターズと称したのは周りからの推挙であり、最初はジョーンズはおこがましいと渋っていたという。
人間、ひつぎに入るとき、どんな財産も持ってはいけない。しかし、心触れ合う友人と愉快にプレーした思い出は、安らかに旅立つ縁よすがとなるのではないだろうか。ジョーンズは自分が望む人生を全うした。
「人間は与えられた条件のなかで生きることが大事。これが今、私の置かれている人生のライなのだ」(ジョーンズ)
よくゴルフは人生にたとえられる。ラウンドにしてからがそうだ。晴れの日もあれば悪天候の日もある。チャンスもあれば、アンラッキーのときもある。好事魔多し。一寸先は闇。まさに人生そのものではないか。ゴルフにおいても人生においても、遠くは見ながらも、とりあえず目の前のことに対処していかなければ、次の展望は開けないということをライという言葉で示唆して、見事な箴言(しんげん)となっている。
「卑しき上級者より、正直なダッファーたれ」(ジョーンズ)
ゴルフは上達志向がなければ、むろん上達しない。しかし、それが過剰になると、プレー中、ボ
ールを動かすズルをしたり、スコアをごまかすことにもなりかねない。ゴルフは誘惑と闘うゲームでもあるのだ。だからこそ、ズルが露見した場合には、時には社会的制裁まで加えられることにもなりかねない。シングルクラスのゴルファーには誰もがなれるわけではないが、正直なゴルファーには誰でもなれる。そしてその正直さこそ、ゴルファーの一番の価値なのである。
アマチュアイズム追求者 中部銀次郎
中部銀次郎(1942~2001)
山口県下関市に大洋漁業を営む一族の御曹司として生まれる。虚弱な体質のため幼少から父の手ほどきでゴルフを始める。甲南大卒。60年、18歳で日本アマに出場。62 年、20 歳で日本アマ初優勝。以後64、66、67、74、78年と17年にわたり通算6勝の金字塔を打ち立てた。67年には西日本オープンでプロを退けて優勝。「プロより強いアマ」と言われた。

中部銀次郎
「起こったことに敏感に反応してはいけない。やわらかくやり過ごす」(中部銀次郎)
ゴルフではさまざまなことが起こる。OBかと思ったボールが木に当たって出てきたりする幸運もあれば、ナイスショットがディボット跡に埋まってしまう不運もある。とてつもないスネークラインのロングパットが入ったり、30センチの短いパットを外したりもする。
これらのことにいちいち反応して、一喜一憂をあらわにしたら精神状態を正常に保てるわけがない。謙虚に心を平静に保っておくには、起こったことに敏感に反応してはならないのである。やわらかくやり過ごすことだ。
「すべてのストロークは等価である」(中部)
トーナメント中継で「このパットは大事ですね」「このショットが勝敗を決めます」などと解説者が言う。特に最終日、中継ホールの後半、16、17、18 番になってくると、こんな解説のオンパレードだ。
しかし、中部は「大事ではない1打ってないですよ。初日の1打も最終日の1打も同じワンストロークという価値では同じです」と言う。「大きな試合とか遊びのラウンドとか、大事なショットとかどうでもいいショットとか区別すること自体が、ゴルフをおとしめることになります。どんな試合でも、どんなショットでも価値は同じです。1回でも手抜きをすると、それが負い目になって次の同じ状況では失敗することにもなってきます」。
「ゴルフの神のアドレスに宿る」(中部)
「アドレスで飛球線に対して直角に構えることがゴルフでの大原則」と話していた。つまり目標に向けていかに“真っすぐ”構えられるか。だから、アドレスを見ればその人がどれくらいの腕前かすぐにわかるという。
「ショートホールで、カップは狙わない」(中部)
世界アマの監督として、合宿していたときに発した言葉とされる。中部は日本アマ6勝という戦績を残しながら、ホールインワンは一度として、ない。なぜか? 答えは、ピンを狙わないから。中部は必ず次のことを考えてショットをする。だから、パー3では、パットのしやすい、簡単なライン・傾斜のサイドに打つのである。
上りの真っすぐなラインが残るサイドがピンのそっぽでも構わず、そこへ打つ。ピンに近いかどうかを競うのではなく、次のパットをいかにカップインさせるかが肝心なことを熟知しているからである。ましてその頃のグリーンは受けていることが多かったので、ピンをオーバーなど決してしない。
「飛ばしの欲求を抑えたときに、ゴルフゲームが見えてくる」(中部)
中部はティーインググラウンドで、飛ばしてやろうとか、パー5で2オンを狙うなどという仕草をしたことがないという。いわく「なぜできないことを望むの。望むからリキんで失敗する。ミスの原因のほとんどは見栄なんだ。
見栄は『自分を知ること』を阻害する。飛距離は各人それぞれ。飛ばなければ他のクラブでカバーすれば事足りる」そして「中部流アマゴルフとは何か?」という問いに「14本のクラブを使い切って、パーに近づく。これがアマチュアのゴルフの本質だと思う」と答えた。
※週刊ゴルフダイジェスト3月11日「名言集」より一部抜粋