
リンクスが似合う川村。欧州中心に70以上の国や地域で戦うと同時に、その土地やコースを味わってきた。「今年の全英予選はロイヤルセントジョージズの横でした。天気もコースもよかったです!」(写真は24年全英オープン、撮影/姉崎正)
“マーくん”こと川村昌弘は、いつも飄々としていて、そのゴルフスタイルは、球を好きに曲げて、やわらかく寄せて、ポンと入れる。何だか自由で目が離せない。そして、常にブレない自分がある。しかし、自分に不自由さを感じたとき、川村はレールを敷き直す。
2年前、PGAツアーに挑戦したいと言った川村。
「日本とアジアでやって、ヨーロッパで6年もやって、次の目標をとなったら、下げたくはない。日本を“下げる”と言ったらすごく申し訳ないんですけど。それに、ヨーロッパで毎年のシーズンが待ち切れないかというと、慣れたのかそこまでワクワクしなくなった。“じゃあ次”というのが自然かなと」
23年にPGAのQTに挑戦するも、セカンドで落ちた。そのコースが“モンスター”だったことが、川村の心に残った。もっと自分にはレベルアップが必要だと。
長年の疲労で手首に痛みも出ていた。
「最初の頃は、ケガと上手く付き合って、できることで試合していけば上手くなれるというモチベーションでした。でもそこからずっと、自分のポテンシャルを下げて加減しながら打つことがいいのか、すごく嫌だし悩みました。アメリカに行きたいと言っているのにヨーロッパで目の前の試合をこなすだけになっていた。年齢的にもここらで手術して、もう1回頑張らないと、と思ったんです」

ジグザグの痛々しい傷が残る。「右は骨と骨をチタンで留める手術で、左は内視鏡で靭帯を縫っています。痛くはないですけど、まだまだこれからです」
公傷制度を使い、ケガの治療に専念することにした。今、川村の両手には大きな傷が残る。
「状態は8割くらい。だいぶ打てるようになりましけど、まだまだこれからです。でも元気ですよ。ヨーロッパに早く帰りたくなってきました。今年の全英の予選は楽しかったです。1日36ホールのために百万円単位でかかる、でも迷わずそこに行こうとしている自分のパッションに安心しました」
考えてみれば川村は、18年のQT11位で本格参戦してから6年間、一度もシードを落としていない。2年前から同じ舞台で戦う桂川有人の言葉、「7年も戦っている川村さんは本当にすごい。自分が戦ってみて実感します」を伝えると、「まあ、長くやっているだけですけど、嬉しいですね。中東やアジアくらいまでは、『やれるんじゃね』となるけど、〝本土〟に行くと結構厳しい戦いになるので、皆、壁にぶち当たるのかもしれません」。
川村の敷いたレールは、後続を乗せる道でもあるのだ。
「僕は何の保険もなく日本から出ましたが、JGTOに『帰ってこられるルールを作ってほしい』と言ってきました。結果、何年か後にそのルールができた。自分が動いて若い子が挑戦しやすくなったのは嬉しい」

「約1年ぶりに大好きなスイスから復帰できました。知らない選手もいますけど、ツアーの関係者や仲のよい選手と再会できて嬉しかった」。2試合目はアイルランドへ。ザ・Kクラブも好きなコースだ。「ゴルフに波はあるけど、相変わらず楽しくやっています」(写真は25年リシャール・ミル チャリティ、撮影/姉崎正)
さて、いよいよ復活の狼煙を上げた。
「昨年のポイントは『銀行に入っていると思って』と言われました。出たいときから7試合、手の状態がよくなかったら来年までまたいで出てもいいと。昨季のボーダーラインを越えるにはあと66ポイントくらい。昨年のものと合算してクリアできたら、翌年のツアーカードがキープされます」
昨年は開幕後の成績がよく、現在364.90ポイント保持する川村。昨年のラインは426.44だ。
目標を聞くと、「戻ってからの7試合で目標を作ったら自分が苦しいので、そこは本当に流れに身を任せます。普通にシレーッとトップ10に入ってクリアできるのか、できなくてQTに行くのか、QTもダメだったらチャレンジツアーに行くのか。どの賽の目が出るかわからないですけど。でも、目標を変えないために手術したので、やっぱりこのヨーロッパから、しっかり手の状態をよくして、アメリカに、ということです」。
コースを愛でる男、川村に今一番好きなコースを聞いた。
「昨年のアイルランドオープンの会場、ロイヤルカウンティダウンもめちゃくちゃよかったけど、2019年のラヒンチが上かも。いい勝負です。アマチュア時代ずっと一番だったロイヤルメルボルンは最近行ってないけど、来年のシードが取れたら、オーストラリアオープンの開催場所だから。今プレーしたらどう思うかな、とは思います」
世界中に敷く川村のレールで、これからも皆を楽しませてほしい。