名手中部の技術を“発酵”させた名コース
アマ・ゴルフの世界 中部銀次郎「広野を往く」②
翌朝「広野」に着いたのは8時30分前後だった。中部には三つの“ホームコース”がある。大学に入るまでの少年時代の下関ゴルフ俱楽部、大学時代の「広野」、そして社会人になって東京に住むようになってからの東京ゴルフ俱楽部である。
それぞれに今日の彼を涵養したコースなのだが、とりわけ「広野」は彼のゴルフを“発酵”させたコースと言ってよい。
「広野」なくして中部のゴルフは語れない。高畑は設計原図をみただけで、超一流のコースだ、実に傑作だ、と感嘆したそうだが、以来、半世紀にわたって、いや今後もわが国の“冠”たるコースであり続けるであろう。発酵を前にした中部がこういうコースで切磋琢磨できたことはまことに...