伊澤塾伝統の朝練!砂の上から600球
2001年4月。ゴルフの祭典マスターズでひとりの日本人が世界中のゴルフファンを魅了した。ゴルフ界のレジェンド、アーノルド・パーマーは彼の美しいスウィングを見て、「キング・オブ・スウィング」と称し、彼がドライビングレンジで打つ球を一目見ようとタイガー・ウッズが駆け付けたという。ファンのみならずプロまでも魅了したそのゴルファーの名は「伊澤利光」。
当時、歴代日本人ゴルファーの最高順位となる4位タイという成績を残し歴史に名を刻んだ。
小さな体から放たれる伊澤の打球は天高く舞い上がり300ヤードを超えていた。その秘密に迫るべく現地のメディアは父であり、ゴルフの師である利夫にインタビューした。
豪打の秘密を聞かれた利夫は「スウィングも弾道も飛距離も、練習の積み重ねの結果です」と答えた。「練習の積み重ね……」の末に行きついたあの機能美は、利夫と利光が二人三脚で創り上げてきた賜物だった。
まだ街が寝静まっている頃、利光は利夫お手製のロープがまかれたタイヤを身にまとい自宅を出る。向かう先は自宅近くの中学校のグランドだった。「タッタッタッ」と小気味のいい地面を蹴る音を響かせ、ダッシュを繰り返した。
それが終わるとタイヤをほどき、手にサンドウェッジを握る。次に行われるのはベアグラウンド(砂利)と砂場からの球打ち。「カツーン、カツーン、カツーン」とクラブの芯でボールをとらえたらスウィング幅を徐々に大きくしていく。5時‐7時、4時-8時、3時-9時。球数は600球にも及んだ。この早朝練習は一日も欠かすことなく行われた。
利夫は「人がやっていない時にどれだけできるかだ。量をやっているやつが強い」と利光に言い聞かせていた。この早朝練習に加えて週末はラウンドを重ねるコース合宿と莫大な練習量をコツコツと積み重ねていった。
この取り組みが広まり、やがて周囲の人達からは「伊澤塾」と呼ばれた。伊澤塾は利夫が住む住居を寮とし、プロを目指すジュニアゴルファーたちが数十人規模で下宿していた。その中には利光をはじめ西川哲、小山内護、立山光広、細川和彦といった将来日本ゴルフ界で活躍する面々が揃っていた。