利夫は練習をするための「体」、その体を活かして練習量をこなすことを「技」、毎日継続する「心」の「体・技・心」の順番がゴルフの上達に必要だと考えていた。早朝の球打ち、ひと足お先の放課後のラウンドなど秀憲も幼少期からこの伊澤塾の「3カ条」を肌で感じてきた。現在、祖父と同じ指導者の道を歩んでいるが、祖父利夫とは違う伊澤秀憲的「体・技・心」を考えている。

球を打ち続けられる「体」があってこそ

「タッタッタッ……」

朝陽が昇る前、まだ街は寝静まっている。静けさのなかに響く小気味いい地面を蹴る音は一定のリズムで刻まれていく。息を整えながら今度はベアグラウンドの上にまかれた白球をサンドウェッジで淡々と打ち込んでいく。

「カツーン、カツーン」、その音はよどみなく刻まれる。一心不乱に打っていると、「おはようございます!」と遠くから聞こえてくる。それは朝練を始めるためにやってきた中学野球部だった。この挨拶が伊澤塾の早朝練習の終わりの合図だった。

夢中になってサンドウェッジで打ち込んだ白球の数は600発。スウィング幅はハーフスウィングでひたすら反復する。ベアグラウンドだけでなく砂場に移動しバンカーショットの要領で反復する日もあった。これが伊澤塾の朝練であり日課だった。

伊澤塾のスタートは叔父にあたる伊澤利光と利夫親子の二人三脚からで、早朝の球打ちも土日のラウンド合宿もすべてはここから始まり秀憲の時代にも伝承されている。そして早朝の球打ちの前にランニングとタイヤ引きが伊澤塾の「体・技・心」の「体」を象徴する定番メニューだった。

利光と利夫は二人三脚でゴルフのイロハを創り上げてきた

「人が寝ている間に練習をしろ」、「量をこなしているやつが強い」という指導理念を掲げていた利夫は、この達成には「強い肉体があってこそ」と考えを塾生に課していた。

秀憲もこの練習メニューを欠かすことなく取り組んでいた。この早朝練習のみならず、中学時は2限で切り上げ磯子カンツリークラブ、第百ゴルフ練習場で一心不乱にクラブを振り続けていた。すべては「練習量こそがものを言う」利夫の揺るがない信念は、歴代塾生から多くのプロを輩出したという実績がまぎれもない根拠だった。

日々の圧倒的な練習量をこなすための強い肉体を創り上げるための鍛錬。その肉体があってこその伊澤塾のゴルフ特訓。日々の鍛錬をコツコツと地道に継続する精神力。すべてを合わせて「体・技・心」が伊澤塾のゴルフ上達への3カ条だと利夫は説いた。

秀憲のゴルフキャリアにおいて土台となった伊澤塾。現在は祖父と同じ指導者としてアマチュアからツアープロまで幅広く指導にあたっているが、秀憲が思う「体・技・心」は自身に刻まれた「伊塾のDNA」と自身で導いたものが融合されている。

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