秀憲は幼いころから祖父のもとで日夜ゴルフの練習に明け暮れていた。その成果を試すべく、小学1年生から試合に出場していた。ある時、試合会場でよく見かける1人の少年に目が留まった。常に順位表の近くにその子の名前が並んでいた。それは石川遼だった。回数を重ねて徐々に互いのことを認識しはじめ、やがて良きライバルであり、1人の親友として接することになった。同じ舞台で高め合い、お互いの成長を近くで感じてきたからこそ分かる秀憲から見た石川遼とは? そして2人が現在はゴルフに対してどのように関わっているのか? 数々のエピソードを紐解くとゴルフ界への想いが見えてきた。

試合で遼と会うのが楽しみだった

「おーい」

「おう! ヒデ!!」

この何気ない挨拶が試合会場での束の間のひと時だった。

秀憲は小学生の頃から競技ゴルフを始め、学年が上がるにつれ、大会で成績を上げてその名が広まっていった。ある時、1人の同い年の男子に目が留まった。

「石川遼って言うのか……」

順位表を眺めていると彼は常に自分と近い場所に名前が並んでいた。秀憲は神奈川、遼は埼玉と住んでいる場所が遠く、頻繁に顔を合わせることができなかった。

「今度の試合はあいつも来るかな」

お互いに遠いからこそ会える場所が試合だった。だから試合が近くなるとワクワクしていた。秀憲は試合会場に到着して、周りを見渡した時に遼の姿を見つけると一目散に側へかけて向かった。

「遼、久しぶり! 今日も俺が勝つからな!!」

「ヒデ! いや今日こそは俺が絶対勝つから!!」

いつしか秀憲と遼はゴルフを通して繋がった友達になっていた。

「ライバルという感覚よりも小学校の休み時間に校庭で遊ぶ友達って感じでしたね」と幼少時の石川遼との出会いを振り返った。真剣勝負の舞台で心を通わせながらゴルフを楽しめる友達だった。秀憲が毎日欠かさずゴルフの練習に明け暮れている時の感情を同じ熱量で感じ取ってくれた。普段の周りの友達とは共感できない感情を共有できたからこそ特別な存在の1人だった。

小学生の頃から高いレベルで切磋琢磨してきた関係は、歳を重ねてからも途切れることなく続いていった。遼が高校1年の時にプロツアーで初優勝を飾り、瞬く間にスターの階段を駆け上がりゴルフ界の顔になった。

いつの間にか遠い存在になり、どこか変わってしまったのではないかと秀憲は思うこともあった。しかしそんなことはなく、「全然変わることなく遼はあの頃の遼のままでした」と話す。久しぶりに試合で顔を合わせた時、自然とお互いに笑みがこぼれゴルフ談義に花が咲いた。

遼は秀憲のゴルフ人生を語るうえで欠かせない一人だ

小学生の頃から様々な苦労を互いに近くで感じてきたからこそ、今では友達であり「同じゴルフ界で頑張っている仲間」として支え合っている。

This article is a sponsored article by
''.