秀憲は幼いころから祖父のもとで日夜ゴルフの練習に明け暮れていた。その成果を試すべく、小学1年生から試合に出場していた。ある時、試合会場でよく見かける1人の少年に目が留まった。常に順位表の近くにその子の名前が並んでいた。それは石川遼だった。回数を重ねて徐々に互いのことを認識しはじめ、やがて良きライバルであり、1人の親友として接することになった。同じ舞台で高め合い、お互いの成長を近くで感じてきたからこそ分かる秀憲から見た石川遼とは? そして2人が現在はゴルフに対してどのように関わっているのか? 数々のエピソードを紐解くとゴルフ界への想いが見えてきた。

未来のゴルフ界のためにできること

秀憲にとって忘れられない遼との思い出のひとつに2017年の日本オープンがある。遼は2013年からアメリカレギュラーツアーに参戦していたが苦戦を強いられ、2017年はシード権を失った。そんななか、10月に選んだ舞台が日本オープンだった。そこで秀憲に白羽の矢が立った。

「日本オープンという大きい試合にキャディを任されるとは思わなかった」と当時を振り返る。ただ遼がエースキャディではなく秀憲に依頼したのには並々ならぬ思いがあった。

「キャディのマネジメントよりも、僕が試合でどんな風に考えているのか? プレーの感覚的な部分を聞きたいと頼まれたんです」

幼少の頃から同じ舞台に立ち、高い次元で心からゴルフを楽しむ間柄だったからこそ実現したタッグだった。

キャディが決まってからの1週間は濃密なひと時だった。「日本オープンの週はほぼ毎日会っていましたね。ゴルフのことからプライベートまで様々なことをたくさん喋りました」と練習ラウンドや試合、それ以外の食事といったほとんどの時間を共に過ごした。

遼がスウィングで悩んでいる感覚を打ち明けられた時には秀憲なりの言葉で伝え、得意分野のアプローチについては実際にデモンストレーションを交えて技術の共有をした。その時間はあの頃、純粋にゴルフを楽しんでいる姿に2人は戻っていた。

練習日では秀憲がデモンストレーションを交えながら意見交換を行った

それは本番を迎えても変わらなかった。選手とキャディの立場ではなく、遼と秀憲というゴルフ仲間の関係で試合に入った。一打ごとに肌で感じたリアルな感覚を遼は秀憲に伝え、それに対してアドバイスを送った。技術だけでなく真剣勝負の最中にも関わらず他愛のない会話もした。親友だからこそ生まれた良い緊張感でコースを周れていた。

緊張感に包まれる試合でもリラックスして臨むことができた

2人が交わした会話のなかであるひとつの共通の話題で盛り上がった。それは「ジュニアゴルファーの裾野を広げることをしていかなきゃいけないって話になったんです」と明かしてくれた。遼も秀憲も幼い頃からゴルフに打ち込み、現在では仕事としてゴルフに関わっている。今の自分たちを人として成長させてくれたゴルフ界に何が残せるのかを考えた。

「たまたま日本オープンの1週前に遼が主催するジュニアゴルファーの大会があったんです」

それは“石川遼インビテーショナル ジャパンジュニアマスターズ“というプロのコースセッティングで戦い、優勝者にはカシオワールドオープンの出場権が与えられるという画期的なものだった。

現場に遼と秀憲は立ち合い、カートのなかでジュニアゴルファーを見ながら今後のゴルフ界について話した。「その時に僕もジュニアの子にレッスンをしていましたし、遼も今後のゴルフ界の成長のため試合を作ったことを考えた時に、お互いに出来ることをやっていかないといけないと思いました」と言葉に力強く込めた。

2人で協力できることを積み重ねて自分たちを育ててくれたゴルフ界のために、現在はジュニアゴルファーやゴルフをしたことがない子ども達に向けたイベントを積極的に開催している。子どもから大人になるにつれて、成長させてくれたゴルフのためにできることを、未来あるゴルファーの卵に情熱を注いでいる。

【プロフィール】
伊澤秀憲(いざわひでのり)/1991年6月生まれ。神奈川県出身。叔父伊澤利光の父であり、祖父の利夫氏に2歳からゴルフの英才教育をうけながら、ジュニア時代は同世代の松山英樹、石川遼らとしのぎを削ってきた。YOUTUBEチャンネル「アンダーパーゴルフ倶楽部」にてショートゲームを中心とした動画を配信中!

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