すべては育ててくれたゴルフ界のために
「キング・オブ・スウィング」
それは自分の叔父に向けてかけられた言葉だった。日本のみならず世界のゴルフファンが沸いた2001年のマスターズは様々なドラマがあった。大きなトピックスで言えばタイガー・ウッズが成し遂げた世紀を跨いだグランドスラムだろう。彼が72ホールで見せつけたパフォーマンスにパトロンは狂喜乱舞した。
しかしそれだけではなかった。当時、日本人初の2桁アンダー、歴代最高成績である4位タイとマスターズのリーダーボードのみならず日本ゴルフ界の歴史に名を刻んだ大会でもあった。
当時小学四年生の秀憲は現地でパー3コンテストに参加し、キャディバッグを担ぎ独特な高揚感に包まれた空間を肌で体感した。そしてその選手が自分の近くにいた存在だからこそ、より一層尊敬の念が深くなった出来事だった。
永遠の憧れの的のタイガーの優勝と叔父である利光の偉業が同時に達成された2001年のマスターズは忘れられない大会だった。
無邪気にゴルフに取り組んでいた幼少から学生時代を経て、社会に出て大人になり秀憲は人に教える立場になった。その相手には子どもたちも含まれ、年齢を重ねる毎にゴルフへの向き合い方が変化していった。
それは自分のことを育てくれたゴルフを、人生経験を交えて後世に教え、残していくことを考えながら日々のレッスンや活動に取り組んでいる。この当たり前にゴルフに身を置ける環境を創り上げてきた先人について考える機会があった。
「今のゴルフ界を創りあげたアーノルド・パーマーは凄いなと歳を重ねて思いました」と言う。あのマスターズで叔父のスウィングを見て、賞賛した伝説のゴルフ人の功績の偉大さを徐々に理解していった。
「僕だけじゃなく叔父やタイガーだってパーマーがいなかったら、ゴルフを始めるのが遅かったかもしれませんからね」と話してくれた。