天本ハルカ
あまもとはるか。1998 年7月23日生まれ。
2021年プロ入りの「黄金世代」の1人で、今年4月のパナソニックオープンレディースで世代15人目の優勝を遂げる。子ども時代にテレビ中継で見た宮里藍に憧れたのがきっかけとなりゴルフを始めた。
私の武器は根気、負けん気、安定性!
小3の私は……打倒・清水大成!
天本が本格的にゴルフにのめり込んだのは小3の頃。地元でジュニア向けのゴルフスクールがあることを知り、親に頼み込む形で入門した。
「スクールは高学年向けでしたが、無理にお願いして入って(笑)。ここで基礎を教わってラウンドデビューも果たし、初試合も経験しました」
初めて出場した試合の結果はなんと3位。低学年向けの男女混合マッチだったが、これが天本の将来を決めた。
「銅メダルをもらったのは嬉しかったですが……。2位が清水大成さんで、そこからしばらく“打倒・清水大成”でしたね(笑)。その後、試合は年齢や性別ごとに分かれていることや、18ホールで開催されること、九州大会や全国大会まであることを知って、『やってやるぞ!』って」
早くも翌年に九州大会へ出場していた天本の最初の同性のライバルは三浦桃香。その後、大里桃子や勝みなみ、新垣比菜など、いわゆる黄金世代の九州組と出会い、火花を散らすことで、負けん気にさらなる火が付いた。
順調に階段を上がり18歳を迎えた2016年に初めてのプロテストを受けるも4回連続で失敗。5回目の挑戦となる2021年、ようやく扉をこじ開けた天本だが、4回の失敗は決して無駄ではないという。
「子ども時代からの友達でありライバルでもあるので、彼女たちが続々とプロ入りすることに焦りはありました。でも今となってはこの時期があったからこそ、安定性や粘りというのがあるのかなって」
プロになるにあたり「子どもたちが読めるように」と本名の遥香をカタカナ表記に変えた天本。何も知らない小3の遥香にゴルフを教えたハミングバードゴルフガーデンの内田多栄コーチが「本当に真面目で、黙々と練習する子でした」と言うように、ハルカには「これ」と決めたら最後までやり通す根気がある。高く跳ぶには、それだけ深く屈む必要があるのだ。
天本ハルカ、1つめの大事:スクエアであること
ドロー打ちでも構えはスクエア
クラブを握ったばかりの少女が叩き込まれたのは、スクエアの感覚。本格的な上達を目指す天本に、当時のヘッドコーチである近藤元治さんは“真っすぐ”の大切さを事あるごとに説いたという。
「近藤先生は『僕はドローヒッターが好きで遥香もドローが合うだろうけれど、球の曲げ方を知るには、真っすぐ飛ばす方法を知らないといけない』とよく言っていました。
試合やプレッシャーのかかる場面でストレートボールは右にも左にも行くリスクはあります。ただ、これを知らないとドローやフェードがなぜ出るかは理解できません。
その後スウィングは伊澤(利光)さんに教わることになりますが、悩んだら立ち戻る基準として、先生の教えは今でも強く私の中に残っています」
フェード全盛ともいえる現在も師匠から教えてもらったドローを貫くが、アドレスやグリップはほぼスクエア。つかまえ方さえ知っていれば、ニュートラルなポジションのほうが安定したドローボールを打てるというわけだ。
わき腹の縮み具合を左右均等にすると体の形が崩れない
調子を崩すと軸が左に傾くという天本の真っすぐ立つコツは、左右のわき腹の形を同一にすること。
「こうすることで、肩のラインもスクエアになります」(天本)
左右均等でないと軸が傾く
右わき腹のほうが縮んでいれば右に、左わき腹が縮めば軸は左に傾く。
「調子が悪くなると打ち出しに意識が向きすぎます。そういうときはわき腹を意識してください」
持ち球はドローだがグリップはスクエア
ジュニア時代からのドロー打ちといえばストロンググリップが定番だが、意外にも天本はスクエアグリップ。
「スクエアに握り、腕のローテーションで球をつかまえるというのが、近藤先生の教えでした」(天本)
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天本ハルカの残る2つの“大事”とはいったい何なのか……記事の全文は2024年8月13日号の「週刊ゴルフダイジェスト」とMyゴルフダイジェストにて掲載中!
PHOTO/Tsukasa Kobayashi
THANKS/ザ・クラシックゴルフ倶楽部、ハミングバードゴルフガーデン
※週刊ゴルフダイジェスト2024年8月13日号「天本ハルカ 私を育てた“ゴルフの大事”」より一部抜粋