ツアー解説でおなじみの佐藤信人プロ。今回は全米シニアオープンで惜敗した藤田寛之について語ってもらった。
画像: 全米シニアオープン2位の藤田寛之。「4日日がそのまま続けば、流れではビッケの優勝だったに違いない。5日目は風向きが変わり、練習ラウンドも含めて体験したことのない風にも襲われました」と佐藤プロ(PHOTO/USGA提供)

全米シニアオープン2位の藤田寛之。「4日日がそのまま続けば、流れではビッケの優勝だったに違いない。5日目は風向きが変わり、練習ラウンドも含めて体験したことのない風にも襲われました」と佐藤プロ(PHOTO/USGA提供)

久しぶりにシニアの試合の中継をテレビの前で釘付けになって見ました。ロードアイランド州のニューポートCCで開催された全米シニアオープンです。

最終日、10番を終えて3打差の首位に立つビッケ(藤田寛之)でしたが、大会は荒天のため翌日に順延。最終日となった5日目、LIVゴルフで戦うリチャード・ブランドに並ばれ、プレーオフ4ホール目で惜敗しました。

ビッケとは同学年で、ともに初優勝が97年と似たようなプロ人生を歩んできました。40代になって不調に苦しむボクと違い、ビッケは12年にツアー史上最年長の44歳で賞金王に。19年まで22年連続賞金シードはジャンボさん、(片山)晋呉に次ぐ記録。ボクなど足元にも及ばない偉大さです。そのすごさは、いくつになっても、上手くなりたい、強くなりたいというゴルフへの熱い思いからくるのでしょう。

食い入るように見たのは、中継だけではありません。大会中、ビッケのYouTubeチャンネルの「BK GOLFCHANNEL」も興味深く見ていました。実はボクはこのチャンネルの大ファンで、特に試合を終えた後、自宅に帰る途中のドライブトークが楽しみなのです。

試合後の生の声を聞けると同時に、プロが普段どんなことを考えゴルフに向き合っているのか、ビッケの等身大の姿が映し出されています。これはファンにとってもプロの興味深い一面でしょうし、プロでありまた解説者になったボクにとっても実に勉強になる、考えさせられるコンテンツなのです。

全米シニアオープンでは練習ラウンドから大会終了まで、事細かく更新されました。借りた一軒家でビッケ自身も焼き肉を作ったりし、コースの感想、試合展開、技術やメンタル面、さらにスーパーでお菓子を買ったりする姿が展開。メジャーで優勝に一番近かった選手の日常、これが日本語でなく英語のコンテンツだったら世界中で“バズる”キラーコンテンツになったに違いありません。

ここ1〜2年のドライブトークは、あまり明るくなることが少なかったように思います。何をやっても上手くいかないとボヤき、しかしそれでも前を向いて頑張ろうという赤裸々なところに選手時代が蘇えるボクなんかは「わかるなぁ」と心に染みるのです。

全米シニアでの同チャンネルでの日常は、挑戦者に徹し、そのコメントも謙虚で消極的なものに終始していました。3日目を首位で終えながらも、まだ自分は世界のトップ30に入ったことはない、メジャーで勝つのはそう簡単なことではない、といった言葉を、自然体で話していました。

ただ、サスペンデッドに入るともう一度家に帰って眠らなければなりません。さすがにプレッシャーに襲われ、ハードルも挑戦者から一気に高くなってしまったのではないでしょうか。

ただ改めて、芹沢軍団の絆の深さ、どんな状態でも必ず帰ることのできるホームの安心感も、今なお続くビッケのゴルフの成長につながっていると感じました。そして、この惜敗がさらに強くなる転機になるはず。それがビッケであり、ビッケの魅力なのです。

※週刊ゴルフダイジェスト2024年8月6日号「さとうの目」より

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