新帝王といわれ、一時代を築いたトム・ワトソンに関するこのレポートは2010年に執筆した。この年の前年(2009年)に、59歳のトム・ワトソンは6度目の全英オープン優勝を目指し、プレーオフを戦った。結果的には敗れはしたものの、世界中から賞賛の声が止まなかった年である。その当時の、つまり60歳のワトソンの全体像に迫った。いま読んで懐かしいと思われる人が一人でもいてくれれば幸いである。
※『書斎のゴルフ』に掲載された全10回の記事を筆者(特別編集委員・古川正則)本人が加筆修正した。
画像: マスターズ1977優勝時の様子

マスターズ1977優勝時の様子

新帝王トム・ワトソン誕生

昨年、スコットランドのターンベリーで行われた全英オープン。59歳だったトム・ワトソンの活躍は記憶に新しい。

最終日、18番の第2打目、残り158ヤードの距離を8番か9番か迷ったあげく(8番と9番の間の距離だったのだろう)、8番を手にして軽めのスウィングで打たれた球はグリーン奥のラフへとこぼれた。

画像: 青木功との貴重な2ショット(撮影/ 岩井基剛)

青木功との貴重な2ショット(撮影/ 岩井基剛)

以前、ワトソンは「現代のボールは性能がよくなって、向かい風や横風には左右されにくくなったが、唯一追い風にはコントロールが難しい」といっていたがその故か。またはワトソンの盟友というべき日本の青木功が「軽めのスウィングほど真っ芯に当たるもんだよ」と解説した理由か。はたまた、これも以前に名門スタンフォード大で心理学を学んだワトソンがいい始めた“火事場のクソ力”こと「土壇場になるとアドレナリンが噴出して、思わぬパワーが出てしまう」といった理由によってか。

1977年、同じ最終ホールの舞台でワトソンは178ヤード残った2打目を7番で(6番か7番の間の距離だったという)ピン根元に落とし、帝王ジャック・ニクラスを破った。その2打目がオーバーし、パターでのアプローチも3メートルオーバー。返しのパットも外し、スチュアート・シンクとのプレーオフへ。だがワトソンにはもはや、プレーオフで闘う気力・体力は残っていなかった。十中八九、手にしていた栄冠はこうして手からこぼれ落ち、142年ぶりの全英最年長優勝を達成できなかったが、それでも59歳ワトソンの偉業の価値はいささかも減じることはなかった。

今年、全英オープンは聖地セントアンドリュースで行われた。全英は5回勝っているが、聖地での勝利はまだない。悲願といってもいい。予選落ちが確定した瞬間、18番の石橋スウィルカン・ブリッジにキスをして、5年後の同大会には出場しないと、別れを告げたのだが、全英そのものにはまだ決別をしていない。まだ出るからには勝つつもりなのだ。それにベースであるシニアツアーでは、まだまだ“現役最前線”である。

なぜ、ワトソンはこんなにも長きにわたって第一線で活躍できるのだろうか ?

結論から先にいうと、やはりスウィングそのものが60歳の今になっても錆びていない、いや進化しつづけているからだろう。そうとしか考えられないではないか。全英には当然20代、30代の若手プロも出場している。彼らは300ヤード台のドライブをするが、結果としてワトソンはそのドライブにも対抗できているのである。またアプローチ、パットなどの小技も加齢につれて、普通は錆びてくるはずである。ターンベリーでも土壇場で、その錆びが一瞬露出した感があっても、なにしろ59歳にして6度目の全英を手中にしかけたのである。

この進化し続けるスウィング(小技も含めて)を様々な角度から分析してみようではないか。そこにはいくつになっても引退しないでもいい我々アマチュアゴルファーに参考になるエキスが必ずやあるはずである。

そしてそれを語るには、やはりワトソン自身のキャラクターを知らねばなるまい。そこにはひとつの道を追い続ける姿があった。

ゴルフダイジェスト特別編集委員/古川正則

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