少し前の話になりますが、今回はどうしてもソニーオープン・イン・ハワイについて語りたいことがあります。2024年、開幕第2戦の同大会は、日本と切っても切れない縁があります。ハワイアンオープンの名称だった1929年に、宮本留吉と安田幸吉が日本から初めて米国ツアー(PGAツアーの前身)に参戦して以来、大会と日本人の繋がりは100年近くになります。
1983年には、青木功が最終日18番ホールで3打目を直接カップに入れてイーグルを奪いジャック・レナーを逆転。勝利を確信していたレナーを呆然とさせ、アジア人初のPGAツアーチャンピオンに輝いたのはご存じの通り。イーグルを決めたアプローチはゴルフ史上まれに見る奇跡のショットとして語り継がれています。
そして1999年以降、大会のメインスポンサーとなったのがソニー。同社は毎年120万ドル(約1億7000万円)以上の寄付を募り、これまでに2400万ドル(約34億円)集め地元の非営利団体を支援する活動を続けてきました。
ソニーの常務で大会役員の河野弘氏は言います。「日本の若手ゴルファーが世界に羽ばたく後押しをしたい」と。その思いが形となったのは、2010年に松山英樹がアジアパシフィックアマに優勝し、翌年のマスターズ出場を決めたことがきっかけでした。
当時、東北福祉大1年の松山がPGAツアーへの参戦経験がないことを懸念したソニーは、彼にスポンサー推薦枠を用意。初出場は予選落ちに終わりましたが、3カ月後のマスターズでは日本勢初のローアマに輝いたのですから、ツアーの雰囲気を味わうお膳立てをしたソニーの貢献は大きかったといえるでしょう。
2022年にはその松山が待望の大会初優勝。青木に続く日本勢2人目の栄冠に輝いたのですが、ラッセル・ヘンリーとのプレーオフ1ホール目でティーショットを完璧なドロー、セカンドを鮮やかなフェードでピンそば50センチにつけイーグルを奪い勝利を決めたシーンは、青木が紡ぎ出した奇跡のアプローチと並び称される名場面となりました。
その一部始終を目の当たりにしたのが次世代のホープ、中島啓太です。彼もまたソニーの特別推薦枠(ソニーオープン・チャレンジ)で出場権を獲得したのですが、中島をはじめとした若手の覚醒については次回たっぷりお話しすることにしましょう。
※週刊ゴルフダイジェスト2024年2月13日号より(ARRANGE/Mika Kawano、PHOTO/Blue Sky Photos、小社写真部)※PGAツアーはBSJapanext(BS放送)、ゴルフネットワーク(CS放送)、U-NEXT(動画配信サービス)で毎週LIVE中継が見られます。