50歳、知命の年。社会人大学院に通うことになった
ゴルフ雑誌の編集を仕事にして15年以上経つ。「不惑」の年を、何事もなかったかのようにやりすごしたけれど、「知命」の年、生まれて半世紀を突破したとき、社会人大学院に通うことを思い立った。
ここ最近、リスキリング、リカレント教育などという言葉をよく聞くが、私はあくまで自分自身の意思で、仕事は現状通り続けながら学ぶ、という選択を取った。
いろいろ探して見つけたのが、文京区茗荷谷にある「筑波大学大学院東京キャンパス」だ。社会人のための夜間大学院がある。学部は「人間総合科学学術院人間総合科学研究群リハビリテーション科学学位プログラム」を選んだ。何とも長い名前だけれど、要は「リハビリテーション」を科学的に学ぶところだ。
編集者として多忙な日々を送っていることを自認する私にとって、山手線内にあること、国立大学で学費も安いことが決め手となった。
ではなぜ、ゴルフ雑誌の編集者がリハビリテーションを学ぶ気になったのか。きっかけは、障害者ゴルファーの皆さんの取材をしてきたことにある。
初めて「障害者ゴルフ」の大会に取材に行ったのは12年前。衝撃を受けた。
義足、義手、車椅子……さまざまな障害を持つ方々が、緑のコースで楽しそうにゴルフをしている。
その日、私がラウンドに付いたのは左半身麻痺の障害を持つ方だった。左足を引きずりながら一生懸命歩き、右腕1本でボールを打っている。スウィングとしては、初心者以下。しかし、ドライバーで100ヤードを誇らしげに飛ばすその姿は、ゴルファーそのものだった。
「こんな体になってしまったけど、やっぱり、ゴルフはいいね」
ゴルフにこんなチカラがあるなんて思わなかった。
そこから定期的に、月例会や様々な大会を主催する日本障害者ゴルフ協会の方々、ボランティアの方々、そして選手の方々を取材するようになった。
ゴルフってリハビリに役立つんです
皆さん「ゴルフってリハビリに役立つんですよ」と口をそろえ、「健常者と同じ舞台でプレーできるしね。やっぱり、負けたくないよね」とも言う。
そして3年前、3人の片麻痺ゴルファーの方々を取材したとき、一人の男性ゴルファーが、話の途中で涙を溢れさせ、私の手を握り、「もっとゴルフが皆に広がるといいね」と言った。思わずもらい泣きしてしまった。
2016年には、ゴルフ競技がリオオリンピックの正式競技に復活し、パラリンピックへのゴルフ競技参加の機運も盛り上がってきた。
もうひとつ。実は私の母は、20年ほど前から脳梗塞→脳出血→脳梗塞を繰り返している。当初、麻痺はひどくは残らなかったけれど、病気のたび、徐々に左半身が不自由になっていく姿を目の当たりにしてきた。できていたことができなくなる、悔しい思いも……。
それでも、グラウンドゴルフや水泳など、家の外に出て体を動かしたり考えたり仲間と楽しむことは、心身にいい影響がある、心身のリハビリになっていると感じていた。それがコロナ禍で強制的にできなくなり、なんとなく引きこもりがちになった。
今こそ、障害者の方にも、もっともっとゴルフのよさを知ってもらい、プレーしてもらえるよう、伝えていくことが必要なのではないか。そうすることで、ゴルフというスポーツの奥深さをより認識でき、一般ゴルファーの方にもゴルフの多様な魅力を伝えていけるのではないか。
そのために、ゴルフがなぜリハビリに役立つのか、「リハビリテーションとは何か」から学んでみたいと思うようになった。
いろいろな出来事が、1つの物事につながっていく、集約されていくような感覚を、皆さんも持ったことがあるのではないだろうか。それこそが、何かを始めるタイミングなのだと思う。
昨年4月、筑波大学東京キャンパスの門をくぐった
こうして2021年の夏、大学院を受験した。
論文試験を終え、面接試験で「すべての流れがつながってここにいる気がするんです」と話すと、目の前にいる面接官の先生はニコニコして、門外漢の私に「そうですか。そういう方にも学んでほしいです」と言った。
11月に合格通知が郵送で届いた。誰かに認められる感じは、いくつになっても嬉しいものだ。
そうして、あのとき取材した片麻痺ゴルファー3人の方々にメールを打った。皆さんに喜んでいただき、「私のことも研究対象にしてくださいね」とメッセージが返ってきた。
2022年4月、筑波大学東京キャンパスの門をくぐった。
桜はもう散ってしまっていたけれど、久しぶりにドキドキする1歩を踏み出した気がした。
手元には自分の顔が入った「学生証」。入学式が行われる教室のドアを開けた――。